◇◆◇日々のみ言葉
2020年9月1日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章10節~11節】
5:10 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
5:11 私のために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所を含めてからとなります。
「義」とは、「神の義」であり、しかもそれは神様の側から見た義となります。実際に、律法をすべて守ることが出来る人間は誰もおりません。しかし主イエスは違います。
主はこのように弟子たちに言われました。
『「私が来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。」(マタイの福音書5:17~5:20)』と。
律法はいつ成就する事になるのでしょうか。主が十字架上でこう言われた時です。
「完了した。」
そしてその後、霊を父なる神に渡されます。その時、成就するのです。
この瞬間、古い契約の時代が終わり、主イエスの流された血潮による新しい契約が始まります。そのしるしとして、至聖所の幕が、上から真っ二つに裂かれたのです。
また当時のユダヤ社会において、最も厳格に律法を守っていると自他共に認められ、多くの人々からの尊敬を受けていたのは、パリサイ派の律法学者でした。
しかし、主イエスは、「彼らの「義」にまさる「義」でなければ、天の御国に決してはいることが出来ない。」と言われるのです。
要するに、人の努力では、誰一人天の御国に行くことは出来ないのです。よって主イエスが言われる「義」とは、十字架によって成される「罪の贖いの義」となります。
「私のために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。」
これは預言です。この時点から約3年以上のちに、行なわれる「過越の祭」以降に成就することになります。それまでは、12弟子は、12使徒として、多くのユダヤ人から、うやまれる存在であったからです。主には、さらに60人以上の弟子がいましたが。
そして最後に、「天の御国はその人のものだから」と言われたことは、未来に成就する預言だけではなく、すでにその人の内には御国が訪れていると言う、現実的な約束でもあるのです。
主イエスが共にいて下さる場所こそが御国です。主を信じる者の内には、聖霊が住んでおられます。もうすでに、その人には御国は訪れているのです。》