• 日々のみ言葉 2020年8月31日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年8月31日(月)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書5章10節】
    5:10 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」

    ◎ショートメッセージ
    《今日は八つ目の幸いの教えです。
    「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」

     現代訳では、
    『ああ、なんと幸いなことでしょう、神様のために迫害されて来た人たち。神様が、その人たちに御国を下さっています。』となっています。

     新改訳聖書は、「義」と訳していますが、これは誤訳です。もしこの言葉を用いるならば、「神の義」となるのではないでしょうか。

     パウロは言います。
    『「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」(ローマ人への手紙3:10~3:12抜粋)』と。

     よって、主イエスが言われていることは、この教えの時点ではないことは明白です。マタイがその福音書の5章から7章まで、詳細にわたって書き記した「山上の垂訓」の教え自体が、弟子たちの将来に関わる教えであったからです。
     それゆえに、丘の上に立たれた主イエスは、御そば近くに弟子たちを呼び寄せられたのです。

     ヨハネの福音書には、主イエスが十字架にかけられる10数時間前に、弟子たちに遺言のように教えられたことが書かれています。
    『「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりも私を先に憎んだことを知っておきなさい。
     もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえって私が世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。
     しもべはその主人にまさるものではない、と私があなたがたに言った言葉を覚えておきなさい。もし人々が私を迫害したなら、あなたがたをも迫害します。彼らは、私の名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行ないます。それは彼らが私を遣わした方を知らないからです。」(ヨハネの福音書15:18~15:21抜粋)』と。

    「山上の垂訓」を教えられた時点では、主イエスの評判は、ローマのシリヤ州中に、また遠く聖都エルサレムまで広まっていました。
     実際に、この教えが語られたのは、主イエスの公生涯のごく初期のことです。おそらく主は、この初期の期間に何度も「山上の垂訓」を繰り返し教えられたと思うのです。

     また、弟子たちは、これから3年以上の間、当時もっとも有名な「ナザレのイエス」の弟子として、人々からうやまれる存在であることを経験します。この期間に彼らに迫害は起こりません。ゲッセネマの時までは。》

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