◇◆◇2020年8月30日 第五主日礼拝
◎本日の聖書箇所【使徒の働き4章15節~22節】
4:15 彼らは二人に議場の外に出るように命じ、協議して言った。
4:16 「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。
4:17 しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」
4:18 そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。
4:19 しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。
4:20 私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」
4:21 そこで彼らは、二人をさらに脅したうえで釈放した。それは、皆の者がこの出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、二人を罰する術がなかったからである。
4:22 このしるしによって癒やされた人は、四十歳を過ぎていた。
◎メッセージ【誰に従うべきか】
《ペテロは、この時、かつて主イエスが約束された通り、聖霊に満たされて力強いメッセージを語りました。この時ヨハネは、ペテロのメッセージの為に、主へ取りなしの祈りをしていたかも知れません。全員が集まった最高法院(最高議会)サンヘドリンは、何の反論もすることが出来ませんでした。それは、いやされた男が、二人と一緒に立っているのですから。 そこで、彼らはペテロとヨハネとその男を会議場の外に出しました。そして話し合いが持たれたのです。
ここで大きな疑問が生まれます。なぜここで話されたことをルカは書き記すことが出来たのかと言う疑問です。その答えはただ一つです。最高法院の議員であったガマリエルの弟子サウロが、議員の一人であったからです。
使徒の働きの第6章から第7章にかけて、エルサレム教会の執事の一人ステパノが殉教する場面が描かれています。それによれば、証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いたことと、サウロは、ステパノを殺すことに賛成していたことが書かれています。なぜならステパノのメッセージをサウロはじかに聞いたからです。
サウロは、ペテロとヨハネの裁判の時にも関わっていたに違いありません。この時、エルサレム中の指導者たちが全員集まったのですから。
「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって『著しいしるし』が行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。」
この発言は、議長であった大祭司カヤパです。ここで彼が言っている「著しいしるし」とは、「美しの門」に置いてもらっていた生まれつき足の不自由な人が、ペテロとヨハネによって、ナザレのイエスの名のもとに奇跡的にいやされたことです。彼はその時、40歳ほどでした。しかも、その事は、エルサレム中の人々に知れ渡ってしまったのです。
カヤパは決議案を出します。
「しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」
そこで、彼らは二人を再度、法廷に呼び戻し、イエスの名によって語ることも教えることも、禁じたのです。この言葉の裏には、イエスこそがメシヤであることを、もはや否定することは出来ないと言う事実が隠されています。
それに対しペテロは、
「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断して下さい。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」
と答えます。
当時の最高法院サンヘドリンの決議事項は神の意志、あるいは神の決定であると信じられていました。
しかしペテロが、「判断して下さい」と言った言葉の中に、ペテロとヨハネの最高法院に対する敬意と礼儀が表わされています。
後にパウロは、こう勧めています。
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」と。
これは単なる勧めではなく、命令でもあります。まず私たちが従うべきお方は、間違いなく第一に主イエスです。み言葉です。
「私は世の光です。私に従う者は決して闇の中を歩むことがなく、命の光を持ちます。」と。
主イエスは、ご自身に従うことを望んでおられます。その事を踏まえて、上に立つ者に従うことを、パウロはあえて薦めているのです。
しかし、上に立つ者の命令が、聖書や主イエスの御心に反する場合は、当然主イエスが優先されることになります。しかしそうでない場合には、上に立つ者の命令が優先されることになります。
いやされた男が、この後、教会に加えられたことは、聖書には書かれてはいません。しかし私は個人的に、彼はエルサレム教会を支えた立派な信徒の一人になったと思っています。》