◇◆◇日々のみ言葉
2020年8月30日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章9節】
5:9 「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」
◎ショートメッセージ
《今日は七つ目の幸いの教えとなります。
現代訳は、
「ああ、なんと幸いなことでしょう、平和を作り出す人たち。神様が、その人たちを神の子どもと呼んで下さいます。」となっています。
私たちは平和を心から望んでいます。しかし人類の歴史は、平和の歴史ではなく、争いの歴史です。戦争の歴史です。戦いの歴史です。殺戮の歴史です。
それは、私たちの心の中には、相反するものがあって、平和を望みながら争いをも望んでいるからです。なぜなら欲があるからです。これこそが、罪人たる所以でもあるのです。
主の兄弟ヤコブはこう言っています。
『何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたの体の中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることが出来ないと、争ったり、戦ったりするのです。(ヤコブの手紙4:1~4:2抜粋)』
まさに真理ではありませんか。
さて、それでは私たちは、主イエスが言われるように平和を作り出すことは出来るのでしょうか。
平和を作り出す為には、その人の心の中にある相反する思いを和解させる必要があります。つまり、その人の心の中に、平安や寛容ではなく、怒りや憎しみの心があったとしたら、とうてい今置かれている状況において、平和をもたらすことは不可能なのです。
しかし、その人が、主イエス・キリストの十字架の贖いによって、神様との関係が修復していたとしたらどうでしょうか。
その人の内に住んでおられる聖霊の助けによって、仲裁や赦しを通して、平和をもたらすことが出来るのです。
なぜなら、主イエスは「平和の君」だからです。
イザヤ書には、
『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ書9:6)』と書かれています。
そして、もし私たちが、例えどんな小さな平和であったとしても、それを作り出すことが出来たとしたら、父なる神様が、私たちを「神の子ども」と呼んで下さるのです。
もちろん、主イエスを信じ従う者は、みな神の子どもですが、ここでは、父なる神様が、喜んで誉めて下さると言う意味なのです。「まさに、あなたは私の子どもだ。私は嬉しい」と。》