◇◆◇日々のみ言葉
2020年8月29日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章8節】
5:8 「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」
◎ショートメッセージ
《今日は六つ目の幸いの教えになります。
今回も現代訳を掲載します。
「ああ、なんと幸いなことでしょう、心の清い人たち。神様が、その人たちに、ご自身を見ることができるようにして下さいます。」
サムエル記には、
『しかし主はサムエルに仰せられた。
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。私は彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(第Ⅰサムエル記16:7)』と書かれています。
またエレミヤは、
『「正しい者を調べ、思いと心を見ておられる万軍の主よ。あなたが彼らに復讐されるのを私に見せて下さい。あなたに私の訴えを打ち明けたのですから。」(エレミヤ書20:12)』と祈っています。
世の中には美しい女性も、イケメンの男性も数多くいます。しかし、神様はその容姿をあえて見ないと言われるのです。神様は、私たちの心をご覧になると言われるのです。
それでは、「心の清い」とは、どのようなことなのでしょうか。一つは、罪や汚れがないことです。そしてもう一つは、純真で二心のないことです。
しかし、ちょっと待って下さい。果たしてそんな人は存在するのでしょうか。
人間は皆、罪人です。幼い子どもも、やはり罪人の親から生まれ、原罪を継承しています。
私たちの側で、あるいは努力で、心を清くすることは絶対に不可能なことなのです。なぜなら、「義人はいない。一人もいない」のですし、また「人の心は何よりも陰険で直らない」からです。
よって答えはただ一つ。
主イエスが十字架上で流された尊い血潮によって、私たちの心の隅から隅まで、洗い清めていただくことです。主の血潮は、どんなに汚れた真っ黒な心であっても、雪のように真っ白にして下さいます。人は生まれ変われるのです。救い主によって。
そして、それだけではありません。
その人は、携挙によって天に引き上げられた時に、あるいはこの世の旅路を無事に終え使命を果たした時に、救い主、主イエス様をその目で見るのです。すなわち神を見るのです。》