◇◆◇日々のみ言葉
2020年8月28日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章7節】
5:7「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」
◎ショートメッセージ
《今日は五つ目の幸いの教えになります。
「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」
この新改訳の言葉は、簡単そうに見えますが、実は意味不明とも言えます。
今回も現代訳を掲載します。
「ああ、なんと幸いなことでしょう、あわれみ深い人たち。神様が、その人たちにあわれみを与えて下さいます。」
まず「あわれみ」と言う定義は何でしょうか。広辞苑では、「あわれむ」で出ていますが、三つの意味があるようです。
①賞美する(誉め讃える)、愛する。
②ふびんがる。同情する。
③慈悲の心をかける。恵む。
ここでは、おそらく③の意味になるのではないでしょうか。
しかし、このような心を、果たして私たちが持つことは可能でしょうか。「あわれみ」とは、「恵み」と同じで、本来は上からやって来るものです。つまり「上の立場」にいる者から「下の立場」にいる者に対して、かけられるものなのです。
もっと極端に言いましょう。それは「富んでいる者」が「貧しい者」に情けをかけることでもあるのです。
しかし、主イエス様の言われている「あわれみ」は、それとは違います。実際に、あわれみを受けた者にしか、真のあわれみは分からないのです。
私たちは、皆、自己中心的です。エゴイストです。結局自分が一番可愛いのです。自分の事しか考えません。他人の事は、どうでも良いのですから。これが私たちの真の姿であって本性でもあるのです。
「あわれみ深い人」とは、主イエス様の十字架によるあわれみ、御子をこの地上に送られ、そして十字架にかけて殺すと言う、父なる神様のあわれみを知っている人のことを指すのです。
十字架によって流された主の血潮によって罪許され、永遠の滅びから永遠の命に移され、創造主なる神様を「父」と呼ぶことを許された人が、あわれみ深い人なのです。
神様が下さった恵みとあわれみを真に知った人だけが、人をあわれむことが出来るのです。そしてそれは、上から目線ではないのです。
そして、そのような人には、さらに神様から、あわれみと恵みが与えられると言う約束なのです。》