◇◆◇日々のみ言葉
2020年8月27日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章6節】
5:6 「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」
◎ショートメッセージ
《今日は四つ目の教えになります。
「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」
今回も現代訳を掲載します。
「ああ、なんと幸いなことでしょう、御心を飢え乾くように求める人たち。神様が、その人たちの心を満たして下さいます。」
新改訳では、主イエスの真意は伝わりにくいと思うのは、果たして私だけでしょうか。私は、どうしても、新改訳では、一般論的に、あるいは他人事のように感じてしまうのです。そのみ言葉が、なかなか心の中に入ってこないのです。
しかし、現代訳は、ストレートに心の中に響いて来ます。
多くのクリスチャンが、なかなか分からないのが「神様の御心」です。神様の御思いと私たちの思いは異なる場合が多いからです。
イザヤ書には、このように書かれています。
『「私の思いは、あなたがたの思いと異なり、私の道は、あなたがたの道と異なるからだ。主の御告げ。
天が地よりも高いように、私の道は、あなたがたの道よりも高く、私の思いは、あなたがたの思いよりも高い。(イザヤ書55:8~55:9)』と。
しかし、そうであったとしても、主イエスは、神様の御心を飢え乾くように求める事を勧めておられるのです。そして求める者には、必ずその答えが与えられることを約束しておられます。
神様は、ご自身の思われる方法で、あるいは願われる方法で、求める者には、その御心を示して下さいます。そして、もっとも多く、またもっとも信頼出来るのは、み言葉、すなわち聖書から教えて下さることです。
み言葉こそが、神の言葉であり、また神の御心であるからです。しかし、だからと言って、他の方法が無いわけではありません。
神様は、ご自身が使える駒をたくさんお持ちです。時には、自然現象を、あるいは人を、あるいはメディアを通して、その御心を示されることも大いに有りうるのです。
しかし重要な事があります。
み言葉が最優先されるべきです。み言葉から離れた御心、み言葉を超越した御心は存在しないからです。
「御心を飢え乾くように」求めましょう。「飢え乾く」とは、必死にと言うことです。真剣であると言うことです。本気であると言うことなのです。神様は、私たちが本気なのか、真剣なのか知っておられます。》