◎本日の聖書箇所【使徒の働き8章17節~25節】
8:17 そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
8:18 シモンは、使徒たちが手を置くことで御霊が与えられるのを見て、使徒たちのところに金を持って来て、
8:19「私が手を置く者がだれでも聖霊を受けられるように、その権威を私にも下さい」と言った。
8:20 しかし、ペテロは彼に言った。「おまえの金は、おまえと共に滅びるがよい。おまえが金で神の賜物を手に入れようと思っているからだ。
8:21 おまえは、このことに何の関係もないし、あずかることもできない。おまえの心が神の前に正しくないからだ。
8:22 だから、この悪事を悔い改めて、主に祈れ。もしかしたら、心に抱いた思いが赦されるかもしれない。
8:23 おまえが苦い悪意と、不義の束縛の中にいることが、私には見えるのだ。」
8:24 シモンは答えた。「あなたがたが言ったことが何一つ私の身に起こらないように、私のために主に祈ってください。」
8:25 こうして、使徒たちは証しをし、主の言葉を語った後、エルサレムに戻って行った。彼らはサマリア人の多くの村で福音を宣べ伝えた。
◎メッセージ【魔術師シモンとシモン・ペテロ】
《エルサレム教会は、柱として重んじられているシモン・ペテロとゼベダイの子ヨハネをサマリアに送って来ました。
ピリポは、サマリアの町の人々に、主イエスの御名によるバプテスマを授けていましたが、聖霊はまだ誰にも降ってはいませんでした。そのことをペテロとヨハネは、御霊によって示され、一人一人に手を置いて祈りますと、御霊が降って来られたと言うのです。
さて、以前は魔術師であったシモンもその場におりました。彼は主イエスを信じたことは良かったのですが、ペテロとヨハネの所に、お金を持って来てこう言ったのです。
「私が手を置く者がだれでも聖霊を受けられるように、その権威を私にも下さい。」
これこそが、魔術師シモンの大失敗なのです。彼は、「聖霊」に対して全く無知であって、聖霊を「力」あるいは「影響力」のように感じたのかも知れません。
聖霊は、創造主なる神様の第三位格のお方であり、人格を持っておられます。またペテロとヨハネが按手して聖霊が降られた時、「御霊が与えられるのを見て」と証言していることから、何らかのしるしをはっきりと見たに違いありません。主イエスの時には、「鳩」のように御霊が降られたことを私たちは知っています。神様が与えて下さる賜物をお金で買うことはできません。このように教会の地位や権威をお金で売買することを「シモニア」と言うのです。
その申し出に対してペテロは、はっきりと威厳を持って彼に答えます。
「おまえの金は、おまえと共に滅びるがよい。おまえが金で神の賜物を手に入れようと思っているからだ。おまえは、このことに何の関係もないし、あずかることもできない。おまえの心が神の前に正しくないからだ。だから、この悪事を悔い改めて、主に祈れ。もしかしたら、心に抱いた思いが赦されるかもしれない。おまえが苦い悪意と、不義の束縛の中にいることが、私には見えるのだ。」と。
この言葉に、ペテロの過去における失敗の経験が生かされていることが分かります。かつて使徒ペテロも大失敗をしたのです。それが「アナニアとサッピラ」の事件なのです。
ルカは、使徒の働きにその事件の全貌を書き記しています。それによりますと、エルサレム教会員であったアナニアと妻のサッピラは、自分の土地を売り、代金の一部を自分たちのために取っておき、一部だけを持って来て、使徒たちの足もとに置いたのです。その事を御霊によって示されたペテロは、アナニアを叱責します。
「アナニア。なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺き、地所の代金の一部を自分の為に取っておいたのか。売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でも、あなたの自由になったではないか。どうして、このようなことを企んだのか。あなたは神を欺いたのだ。」 その言葉には、アナニアに対する愛も哀れみも、また悔い改めの勧めや、取りなしの祈りもなく、さばきしかありませんでした。それを聞いたアナニアは倒れて息が絶えます。
さて、数時間後にサッピラが入って来ます
「あなたがたは地所をこの値段で売ったのか。私に言いなさい。」
「はい、その値段です。」
「なぜあなたがたは、心を合わせて主の御霊を試みたのか。見なさい。あなたの夫を葬った人たちの足が戸口まで来ている。彼らがあなたを運び出すことになる。」
すると、即座に彼女はペテロの足もとに倒れて、息絶えるのです。彼女は、夫アナニアが葬られた隣に葬られます。
これこそが、シモン・ペテロの最大の失敗なのです。主イエスを三度にわたって否み、それを赦されたにもかかわらず、ペテロは、アナニアとサッピラを赦さず裁いたのです。
しかし、魔術師シモンに対しては、まったく異なった態度を示しました。ペテロは、彼に「悔い改め」と「祈る」ことを命じています。
またシモンは、「あなたがたが言ったことが何一つ私の身に起こらないように、私のために主に祈って下さい。」と願い出るのです。ペテロとヨハネは、彼の為に、取りなしの祈りを主に捧げたことは言うまでもありません。その後のシモンについては、聖書は何一つ触れてはいませんが、まったく変えられ模範的な信徒になったのではないでしょうか。
アナニアとサッピラの時にも、ペテロが同じように接していたとしたら、異なった展開になっていたのではないかと思うのです。
誰でも失敗するものです。大切な事は、その失敗を次回に生かすことなのです。また同じあやまちを繰り返す必要はありません。主イエスは、真に愛のお方なのです。》