◇◆◇日々のみ言葉
2021年3月22日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書11章20節~24節】
11:20 それから、イエスは、数々の力あるわざの行なわれた町々が悔い改めなかったので、責め始められた。
11:21「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしもツロとシドンで行なわれたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。
11:22 しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ。
11:23 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。
11:24 しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。
マタイは、11章の始めに次のように書き記しています。
『イエスはこのように十二弟子に注意を与え、それを終えられると、彼らの町々で教えたり宣べ伝えたりするため、そこを立ち去られた。(マタイの福音書11:1)』
ここで、「彼らの町々で教えたり宣べ伝えたりするため」と、マタイは明確に主イエス様の成された理由を示しています。つまり、十二使徒の出身地に、ご自身が単身にて向かわれたと言うことです。
カペナウムには、シモン・ペテロと弟アンデレの家が、そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネの家が有ります。また取税人のレビと、その弟ヤコブもカペナウムに住んでいたのです。
しかし、ペテロとアンデレ、そしてピリポの本当の出身地は、ベツサイダなのです。
ヨハネの福音書には、
『その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて「私に従って来なさい。」と言われた。ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。(ヨハネの福音書1:43~1:44)』と書かれています。
それにも関わらず、主イエス様が巡り歩いた町々は悔い改めなかったのです。これはどのような意味なのでしょうか。主イエス様が公にご自身を現わす以前にバプテスマのヨハネによって、「悔い改めのバプテスマ」をすでに多くのユダヤ人が授かっていたはずです。
つまり、彼らは主イエスを「救い主」や「メシア」として受け入れたのではなく、ローマ帝国からイスラエルを解放してくれる「軍事的指導者」として見ていたのです。それは、「政治的メシア」と言うことです。
それだからこそ、主イエス様は言われるのです。
「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしもツロとシドンで行なわれたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。」と。
明日も同じ箇所からとなります。》