• 日々のみ言葉 2021年3月22日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年3月22日(月)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書11章20節~24節】
    11:20 それから、イエスは、数々の力あるわざの行なわれた町々が悔い改めなかったので、責め始められた。
    11:21 「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしもツロとシドンで行なわれたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。
    11:22 しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ。
    11:23 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。
    11:24 しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からです。明日は先に行きましょう。今回は、現代訳を掲載します。

     現代訳は、
    『その時、イエスは非常に多くの力強い奇跡をされたにもかかわらず、悔い改めなかった町々を、責め始められた。
    「ああ、なんと災いなことだろう。コラジンの人たち。ああ、なんと災いなことだろう。ベツサイダの人たち。おまえたちの所で行なった力強い奇跡を、もしもツロとシドンで行なったとしたら、彼らはとうの昔に、心から悔い改めたことだろう。けれども、はっきり言っておくが、裁きの日には、ツロとシドンの人たちの方が、おまえたちよりも罰は軽い。
     カペナウムの人たち。どうして、おまえたちが天にまで上げられる栄光に浴することができようか。地獄に落とされるのが関の山だ。おまえたちのところで行なわれた力強い奇跡が、もしもソドムで行なわれたとしたら、ソドムの人たちはきっと悔い改め、そのため、ソドムの町は今日まで残っていただろう。けれども、はっきり言っておくが、裁きの日には、ソドムの地の方が、おまえたちよりも罰は軽い。」』となっています。

     ソドムとゴモラには、実は主は、すなわち「受肉以前の御子イエス・キリスト」は、行かれませんでした。ソドムの町の門に座っていたロトが出会ったのは、二人の御使いです。おそらくガブリエルとミカエルであったと思われます。しかし、アブラハムが持てなしたのは、二人の御使いと共に、やって来られた神である主ご自身でした。

     創世記には、
    『主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現われた。彼は日の暑い頃、天幕の入口にすわっていた。彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎える為ために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。(創世記18:1~18:2)』と書かれています。

     しかし、コラジン、ベツサイダそしてカペナウムには、まことの神の御子であられる主イエスご自身が、直接みわざを成されたのです。それにもかかわらず、彼ら群衆は、主イエスが誰であるのか、悟ることが出来なかったのです。》

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