◇◆◇日々のみ言葉
2021年4月2日(金)
◎聖書箇所【マルコの福音書15章22節~37節】
15:22 そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。
15:23 そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。
15:24 それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。
15:25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
15:26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王。」と書いてあった。
15:27 また彼らは、イエスと共にふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
15:28 こうして『この人は罪人と共に数えられた。』とある聖書が実現したのである。
15:29 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。
15:30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
15:31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
15:32 キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスと一緒に十字架につけられた者たちもイエスをののしった。
15:33 さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。
15:34 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」という意味である。
15:35 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。
15:36 すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」
15:37 それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。
◎ショートメッセージ
《今日は『聖金曜日』です。主イエスが十字架に掛かられた日です。カトリック教会では、記念のミサ(典礼)が行なわれます。また「十字架の道行き」をたどる集会も行なわれるようです。
プロテスタント教会においては、特別な催しが行なわれることをあまり耳にいたしません。それは二日後の「復活祭(イースター)」を盛大に祝うためでもあるようです。しかし十字架がなければ復活もないのです。実は「十字架」こそが、本当は最も大切な奥義なのです。なぜなら、そこに究極的な神の愛が示されたからです。
使徒ヨハネはその書簡において、こう証しています。
『愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させて下さいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(ヨハネの福音書4:8~4:10)』と。
十字架の愛、これこそが、私たちクリスチャンの原点でもあります。》