◇◆◇日々のみ言葉
2021年4月18日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書12章14節~15節前半】
12:14 パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した。
12:15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。
◎ショートメッセージ
《主イエスがガリラヤ伝道の本拠地とされた、カペナウムのユダヤ人会堂での「いやしの奇跡」の記事の続きです。
この頃から、主イエスとパリサイ人や律法学者たちとの間における、「安息日論争」が激しさを増して来たのです。
このパリサイ人や律法学者たちは、単なる一般のラビではありません。もしラビであるならば、多くの弟子たちを同行させているはずです。当時、偉大なラビとは、いかに多くの弟子たちを抱えているか、数が問われていたからです。
彼らは、エルサレムから遣わされた議員なのです。しかも執拗に主イエスと弟子たちの後を追ってきます。それは、主イエスの教えから学び、また弟子に加えてもらいたいと言う良い動機ではなく、主イエスをいかにして、律法違反において訴え、裁判にかけて殺す事が出来るかと言う、まさに邪悪な動機であるわけです。
彼らは旧約聖書に通じています。パウロ自身もその事を、サウロであった時には誇りとしていたことを、後に書簡に書き記しています。
これだけ旧約聖書を知っているならば、なぜ目の前にいるお方が救い主であり、またイスラエルが長らく待ち望んでいた「神の御子」、すなわちメシアであることが、どうして分からないのでしょうか。
しかも、メシアでしか出来ないしるしとされる、盲人の目を開き、また手足に不具合のある人をいやす、まさにその奇跡の場面を目撃しているにも関わらず、なぜ主イエスを認め、信じ受け入れないのか、不思議でなりません。
このことから、「奇跡・いやし」と「救い」とは、別であることが分かります。パリサイ人や律法学者たちは、行ないによる義を求めていました。しかし主イエスは行ないではなく、信仰による義を教えておられるのです。
救いとは、唯一です。
自分が罪人であることを心から認め、悔い改め、私たちの為にすべての罪を背負われ、身代わりとして十字架にかかって死んで下さった主イエスを、心から信じ受け入れ、「主イエスこそ私の神、私の主である」と、霊と魂と体の全存在を持って告白することです。 そうすれば、罪は赦され。永遠のいのちが与えられます。主イエスの霊である聖霊が、その人の霊の中に訪れ、住まわれ、共にいて下さることになるのです。
パリサイ人と律法学者たちは会堂から出て行きました。そして、どのようにして主イエスを滅ぼそうかと相談したのです。
主イエスは、霊によってそれを見抜かれ、そこを立ち去られたのです。》