◇◆◇日々のみ言葉
2021年4月19日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書12章14節~16節】
12:14 パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した。
12:15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。すると多くの人がついて来たので、彼らをみないやし、
12:16 そして、ご自分のことを人々に知らせないようにと、彼らを戒められた。
◎ショートメッセージ
《主イエスがガリラヤ伝道の本拠地とされた、カペナウムのユダヤ人会堂での「片手のなえた人のいやし」の出来事の続きです。
ルカの福音書における並行記事によりますと、
『別の安息日に、イエスは会堂にはいって教えておられた。そこに右手のなえた人がいた。そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。
イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、
「立って、真中に出なさい。」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。
イエスは人々に言われた。
「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」そして、みなの者を見回してから、その人に、
「手を伸ばしなさい。」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。
すると彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った。(ルカの福音書6:6~6:11)』と書かれています。
パリサイ人や律法学者たちは、エルサレム最高議会から遣わされた議員たちでした。彼らの見ている前で、主イエスは右手のなえた人の手をいやされたのです。この時、主イエスは、彼に二つの行動を要求しています。
一つは、「立って、真中に出なさい」と言うことです。主の奇跡を受けるためには、立ち上がらなければなりません。そして隅ではなく、真ん中に進み出なければならないのです。
ある意味では、まさに「見世物」です。また傍観者ではなく、当事者になることです。
そしてもう一つの行動は、「手を伸ばしなさい」と言うことです。彼の右手はなえていて、伸ばすことが出来ないのです。その彼に向かって、主は言われます。
「手を伸ばしなさい」と。
これは、主イエスの手を握りしめることにもつながります。握手するには、手を前に差し出さなければならないからです。従った時に、彼にいやしの奇跡が訪れました。
パリサイ人や律法学者たちは、気が動転し出て行ってしまいます。そして悪巧みをたてるのです。
主イエスはそれを見抜かれ、会堂を出て行かれるのです。すると、大勢の人々が、後を追ってきます。彼らは何らかの病や不具合を持った人たちです。主イエスは、全員いやされます。そして証しすることを禁じます。それは、限られた公生涯の働きを、人々に妨げられないためにです。》