◇◆◇日々のみ言葉
2021年4月20日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書12章17節~21節】
12:17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。
12:18「これぞ、私の選んだ私のしもべ、私の心の喜ぶ私の愛する者。私は彼の上に私の霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。
12:19 争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。
12:20 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。
12:21 異邦人は彼の名に望みをかける。」
◎ショートメッセージ
《主イエスは、ユダヤ人会堂において、「右手のなえた人」をいやされました。それを見たパリサイ人や律法学者たちは、外に出て行って、どのようにして主イエスを滅ぼそうかと相談したのです。この事が、マタイの福音書に書き記されたことから、この人たちの中にも、のちに救われた者がいた可能性があると思われます。
さて、主イエスは、霊によってそれを知られ、会堂から立ち去られました。すると多くの人々がついて来たのです。彼らの中には、様々な病や不具合の者がいて、主は、皆いやされたのです。そして彼らに、ご自分のことを他の人々に知らせないようにと、彼らを戒められました。
この事を目撃したマタイは、ここでイザヤ書を引用して、預言の成就であることを明らかにしています。原文は、
『見よ。私のささえる私のしもべ、私の心の喜ぶ私が選んだ者。私は彼の上に私の霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。(イザヤ書42:1~42:4)』
イザヤ書には、多くの「メシア預言」が書き記されています。もちろんその事を、パリサイ人や律法学者たちは熟知しています。メシアが来られた時に、どのような「しるし」が伴うことになるのか知っています。
今、目の前で主イエスが、イザヤ書に書かれた通りの、いやそれ以上の奇跡をなされたのです。取税人であったマタイでさえ、その事が分かったのです。しかし、聖書を知り尽くしている専門家の彼らには、どうして主イエスの事が見えないのでしょうか。また悟ることが出来ないのでしょうか。
それは「心」の問題です。頑なな心は、信じ認めることが出来ないのです。しかし幼子のような柔らかな心は、素直に信じることが出来るのです。
今の私たちの心の状態はどうなっているのでしょう。主イエス様に出会った時と同じように、喜びに満ちた弾むような、柔らかな心でしょうか。
それとも年齢が増し加わり、また救われた時からすでに数十年以上が経過して、心が頑なにされてはいないでしょうか。
私たちは、信じて、いのちに満ち溢れ、この世において輝き、生きる者なのです。》