◇◆◇日々のみ言葉
2021年4月21日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書12章22節~23節】
12:22 そのとき、悪霊につかれた、目も見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが彼をいやされたので、そのおしはものを言い、目も見えるようになった。
12:23 群衆はみな驚いて言った。「この人は、ダビデの子なのだろうか。」
◎ショートメッセージ
《マタイ、かつてカペナウムの取税人であったレビは、主イエスのなされた御わざは、預言者イザヤを通して語られた事が成就したことを、引用して書き記しています。
「これぞ、私の選んだ私のしもべ、私の心の喜ぶ私の愛する者。私は彼の上に私の霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。異邦人は彼の名に望みをかける。」
しかし、この文章の最後は、原文とは異なっています。ここに預言が書き記されているのです。
『異邦人は彼の名に望みをかける。』と。
今現在でもそうですが、当時のユダヤ人は、「異邦人」は「人」ではなく、「犬」と同様に考えていました。マタイは、福音書をユダヤ人の為に書きました。まさか、イスラエルの神様の救いが、異邦人にまで及ぶことになるとは、使徒たちの中のいったい誰が想像することが出来たでしょうか。
さて、今日の箇所ですが、「右手のなえた人」も、そしてここに連れて来られた「目も見えず、口のきけない人」もユダヤ人です。主イエスの働きは、まずご自分の民であるユダヤ人に向けられたからです。彼の不具合の原因は悪霊でした。主イエスは悪霊を追い出し、彼をいやされます。すると群衆は、こう言います。
「この人は、ダビデの子なのだろうか。」
「ダビデの子」と言う意味は、「メシア」のことです。「救い主」のことです。モーゼのように、またヨシュアのように、ローマ帝国からイスラエルを解放してくれる「メシア」と言う意味なのです。
特に、イザヤ書に書かれたメシアの特徴のしるしは、盲人の目を開けることなのです。主イエスは、光を与えて下さいます。なぜなら、主こそ「光」だからです。
救われていない人々は、たとえ目が見えていたとしても、真っ暗闇の世界を歩いています。だれでも、主イエスと言う「真の光」が必要です。この「光」だけが、私たちを導いて下さるのです。》