• 2021年5月2日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書21章15節~19節】
    21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、私を愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「私の子羊を飼いなさい。」
    21:16 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「私の羊を牧しなさい。」
    21:17 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたは私を愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「私の羊を飼いなさい。
    21:18 まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
    21:19 イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「私に従いなさい。」

    ◎メッセージ【あなたは私を愛していますか】
    《「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、私を愛していますか。」そして「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛していますか。」
    そしてさらに、「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛していますか。」と。
     なぜ、主イエスは、ペテロに三度も同じ質問をされたのでしょうか。実は、これはペテロと主との個人的な関係の修復を意味しているのです。またペテロの傷のいやしも同時に行なわれているのです。
     主は、最後の晩餐において、ペテロにこのように預言をされました。
    「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、私はあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
    「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
    「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度私を知らないと言います。」と。
     なぜ三度なのでしょうか。一度ではなく、二度でもなく、三度なのです。実は、この回数に深い意味があると私には思えるのです。
     ペテロは外の大祭司の中庭に座っていました。すると召使いの女が一人近づいて来て言ったのです。「あなたもガリラヤ人イエスと一緒にいましたね。」ペテロは皆の前で否定します。これは姿、体の否定です。
     そして、しばらくすると、立っていた別の人たちが近寄って来て言います。「確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。言葉のなまりで分かる。」別の福音書では、「あなたもガリラヤ人だから」と付け加えられています。ペテロは否定します。魂の部分における否定です。
     その時ペテロは、嘘ならのろわれてもよいと誓って否定します。これは霊的な否定です。すると、すぐに鶏が鳴きます。すなわち、ペテロは、霊・魂・体のすべての存在を持って、主イエス様との関係を否定したのです。
     主イエスはペテロに三度、「あなたは私を愛していますか。」と聞きました。それに対して、「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」とペテロは答えます。特に三度目は、ペテロは「心を痛めて」答えるのです。おそらく一度目も二度目も、何気なく答えたようにも思えます。しかし、この時霊的ないやしが行なわれ、それゆえに罪が示され、彼は心を痛めたのです。私たちの魂の傷は、肉体をも、そして霊をも傷つけるのです。主イエス様とシモン・ペテロとのやり取りを通して、ペテロは霊的にも、また魂の傷をもいやされます。すでに、朝の最高の食事において、体はいやされています。
     神様の愛は、主イエス様の十字架にこそ表わされています。シモン・ペテロが全存在を持って主イエスを否定した罪は、十字架の贖いの御わざを通ればこそ、赦されたのです。
     私たちは霊的存在です。そして霊は、魂を持っています。私たちには魂のいやしが必要です。そして、それは死んでいた霊が新しく再創造されて始めて為し得る御わざなのです。私たちは誰もが傷ついているからです。
     主は言われました。「あなたは私を愛していますか。」と。この質問は、ペテロだけではなく、すべてのクリスチャンに、すべての人々にも向けて、投げかけられています。
    「はい。愛します。」と答える為には、主の十字架の御わざと、父なる神様の愛を知らなければ出来ないのです。神様は本当に私たち一人一人を愛しておられます。
     だからこそ主は、私の為に、あなたの為に、すべての人の為に、身代わりとなって死んで下さったのです。しかし、三日目によみがえられました。そして、主はこのようにも言われます。「私に従いなさい」と。》

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