• 2021年8月1日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き10章23節~33節】
    10:23 それでペテロは、彼らを迎え入れて泊まらせた。翌日、ペテロは立って、彼らと一緒に出かけた。ヤッファの兄弟たちも数人同行した。
    10:24 そして次の日、ペテロはカイサリアに着いた。コルネリウスは、親族や親しい友人たちを呼び集めて、彼らを待っていた。
    10:25 ペテロが着くと、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。
    10:26 するとペテロは彼を起こして、「お立ち下さい。私も同じ人間です」と言った。
    10:27 そして、コルネリウスと言葉を交わしながら家に入り、多くの人が集まっているのを見て、
    10:28 その人たちにこう言った。「ご存じのとおり、ユダヤ人には、外国人と交わったり、外国人を訪問したりすることは許されていません。ところが、神は私に、どんな人のことも、きよくない者であるとか汚れた者であるとか言ってはならないことを、示して下さいました。
    10:29 それで、お招きを受けたとき、ためらうことなく来たのです。そこでお尋ねしますが、あなたがたは、どういうわけで私をお招きになったのですか。」
    10:30 すると、コルネリウスが言った。「四日前のこの時刻に、私が家で午後三時の祈りをしていますと、なんと、輝いた衣を着た人が私の前に立って、
    10:31 こう言いました。『コルネリウス。あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前に覚えられています。
    10:32 だから、ヤッファに人を送って、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。この人は海辺にある、皮なめし職人のシモンの家に泊まっています。』
    10:33 それで、私はすぐにあなたのところに人を送ったのです。ようこそおいで下さいました。今、私たちはみな、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、神の御前に出ております。」

    ◎メッセージ【コルネリウスとシモン・ペテロ】
    《ヤッファを出発した次の日、途中で一泊した後、一行はカイサリアに到着したのです。
     コルネリウスは、親族や親しい友人たちを呼び集めて、彼らを待っていたとありますから、すでに、ペテロを見いだしたことは、伝令によって伝えられたと思われます。ペテロが着くと、コルネリウスは迎えに出ます。そして、足もとにひれ伏したのです。この時コルネリウスは、ローマの正装をしていたに違いありません。
     ところでコルネリウスは、なぜひざまずいたのでしょうか。それは、彼が長い間求め続けて来た真の神様にお会いする為でもあり、また神様の御前にへりくだされていたのです
     イザヤはこう言います。『いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「私は、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人と共に住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。」』と。
     また後に、ペテロはその書簡に、次のように述べています。
    『若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」』のですと。神様はへりくだる者、心砕かれた人と共に住んで下さるのです。
    「ご存じのとおり、ユダヤ人には、外国人と交わったり、外国人を訪問したりすることは許されていません。ところが、神は私に、どんな人のことも、きよくない者であるとか汚れた者であるとか言ってはならないことを、示して下さいました。それで、お招きを受けたとき、ためらうことなく来たのです。そこでお尋ねしますが、あなたがたは、どういうわけで私をお招きになったのですか。」
     ペテロの申し出に、コルネリウスは、自分に起こったことを詳しく語りました。そして、
    「今、私たちはみな、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、神の御前に出ております。」と答えたのです。
     ここで、「主があなたにお命じになったすべてのこと」とは、主イエスがペテロに与えた命令を指しています。
    「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となります。」
     十二使徒は、まさしく「主イエスの復活」の証人なのです。また、コルネリウスは「神の御前に出ております」と言う言葉から、彼とその場所に集まっている人々は、真剣に神様を求めていることが分かります。
     使徒ヨハネはこのように勧めています。
    『愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。』と。
     この後、ペテロは「主の証人」として、篤いメッセージを語ります。そして、その最中に聖霊が降られ、リバイバルが起こるのです。この瞬間、異邦人への福音の扉が開かれたのです。まさに「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のです。》

Comments are closed.