◇◆◇日々のみ言葉
2021年8月2日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書17章14節~16節】
17:14 彼らが群衆のところに来たとき、ひとりの人がイエスの御もとに来て、ひざまずき、こう言った。
17:15「主イエス様。私の息子をあわれんでください。彼はてんかんで、ひどく苦しんでおります。何度も何度も、火の中、水の中に倒れました。
17:16 そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。今日は、マルコの福音書の並行記事の現代訳を掲載します。
マルコでは、
『彼らが、弟子たちのところに来て見ると、大ぜいの群衆が弟子たちを取り囲み、また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。群衆はみな、イエスを見ると非常に驚き、走り寄って来て、あいさつをした。イエスは彼らに、
「あなたがたは、弟子たちと何を議論しているのですか。」と聞かれた。
すると群衆のひとりが、イエスに答えて言った。
「先生。聾唖の霊に憑かれている私の息子を、先生の所に連れてまいりました。その霊が息子に取りつきますと、どこであろうと彼を引き倒します。すると、彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせてしまいます。イエス様がお留守なので、お弟子さんにお願いして、霊を追い出していただこうと思ったのですが、お弟子さんにはできませんでした。」(現代訳 マルコの福音書9:14~9:18)』
マタイの福音書では、「てんかん」と言う病気で、ひとり息子が苦しんでいることを、その父親が主イエスに癒やしのお願いをしていることとして書かれています。
しかし、マルコおよびルカの福音書では、その根本的な原因は、悪霊であって、それに取り憑かれていることからの解放を、主イエスに求めることになっています。
マタイは、この現場にいたと思いますが、なぜこうも内容が異なっているのかが、良くわかりません。
マルコは非常に詳細にわたって書き記しています。よって、主イエスのすぐ側に、シモン・ペテロがおり、その目の前において起こった出来事であることが分かります。
なぜなら、マルコの福音書はシモン・ペテロの説教が土台となっているからです。
さて、この父親の名前は出て来ません。またその息子もです。父親は主イエスの名声を聞いて、いやがる息子を連れて来たと思われます。息子に取り憑いていた悪霊がかなり抵抗したからです。悪霊は、主イエスによって追い出されることを察知したはずです。
彼らがピリポ・カイザリヤに来た時に、残念なことに、主イエスは留守でした。仕方なく、その父親は残っていた弟子たちに頼んだと言うわけです。
しかし、その結果は失敗に終わります。また、律法学者たちと弟子たちが、なぜ議論したのか、その理由が書かれていません。これは推測ですが、律法学者たちは、主イエスと弟子たちを、偽預言者としたのではないでしょうか。なぜなら、弟子たちには直せなかったからです。》