• 日々のみ言葉 2021年9月10日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年9月10日(金)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書19章16節~20節】
    19:16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
    19:17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、私に尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
    19:18 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
    19:19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
    19:20 この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」

    ◎ショートメッセージ
    《ここに、一人の人が登場します。この記事は、三つの共観福音書に掲載されています。

     マルコによりますと、
    『イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。
    「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
     イエスは彼に言われた。
    「なぜ、私を『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、誰もありません。戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」
    すると、その人はイエスに言った。
    「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」(マルコの福音書10:17~10:20)』となっています。

     まず、違いを見ますと、最初にこの青年は、主イエスの御もとにひざまずいたことが分かります。
     そして、青年の質問の内容が若干異なっていることが分かります。
     マタイでは、
    「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
     となっており、マルコでは、
    「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」となっています。

     そして、マタイでは、主イエスの答えは、「良いこと」に関しての答えであり、マルコでは、「尊い」ことに関しての答えになっています。
     どちらが正しいのでしょうか。
     これは、聞き手の感覚の問題でもあるかも知れません。すなわち、マタイは彼自身が見聞きしたことであり、マルコはシモン・ペテロが見聞きしたことをもとにして、福音書を執筆しているからです。よって、どちらも正しいことになります。明日も同じ箇所からです。》

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