◇◆◇日々のみ言葉
2021年9月9日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書19章13節~15節】
19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないで私のところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
19:15 そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。今日は、この出来事の意味をじっくりと考えて見たいと思います。
主イエスが弟子たちに、結婚について教えられた時に、おそらく母親たちが一緒に子どもたちを連れて来たのです。主イエスに手を置いて祈ってもらう事とは、祝福の祈りであったと思われます。当時のユダヤでは、著名なラビに祈ってもらうことは、光栄なことであったからです。それを見た弟子たちは、母親たちと子どもたちを叱ったのです。どのように叱ったのかは、聖書には書かれてはいません。
しかし、マルコの福音書によりますと、主イエスが、「憤って」と、書き記されていますから、弟子たちは、かなり厳しく叱ったと思われるのです。
この記事は、三つの共観福音書に掲載されています。マルコの福音書の記事とルカの福音書の記事は、ほとんど同じですが、祈りの対象が違っていますので、ルカの福音書の同一並行記事を掲載します。
『イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。
「子どもたちを私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」(ルカの福音書18:15~18:17)』とルカは書き記しています。
マタイとマルコでは、「子どもたち」となっていますのに、ルカは「幼子」となっています。子どもたちであったとしたら、まさしく五・六才くらいでしょうか。しかし幼子と言えば、うまれてから八日目を過ぎてから、二才ぐらいまでではないでしょうか。ユダヤは数えですから、生まれた年は一才で、次の年には二才となります。
主イエスも、生まれてから八日目に割礼を授かる為に、エルサレムの神殿に、両親に連れられて来た時に、老人シメオンから祝福を受けています。
「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないで私のところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」と、主は言われます。そして、
「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」と。
心から素直に信じることが、私たち一人一人に求められているのです。》