◇◆◇日々のみ言葉
2021年9月8日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書19章13節~15節】
19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないで私の所に来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
19:15 そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。
◎ショートメッセージ
《マタイは、ここに子どもたちの記事を挿入しています。何気なく私たちは、さーっとこの記事を読み通しがちです。
別に、マタイがこの3節をあえて入れなくとも、次のパリサイ人が尋ねて来て、主イエスに「永遠のいのち」について質問した記事の方が重要であって、子どもたちのことを省いたとしてもかまわないと私たちは思います。
しかし聖書は、聖霊によって書かれた霊的書物であって、マタイを通して、あえてこの記事を聖霊が書かせたのです。その真意は、前に戻らなくては分からないものです。
『パリサイ人たちがみもとにやって来て、主イエスに言いました。
「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」
「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」
「では、モーセはなぜ、離婚状を渡して妻を離別せよ、と命じたのですか。」
「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。まことに、あなたがたに告げます。誰でも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」
すると、弟子たちは主イエスに尋ねます。
「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」
「その言葉は、誰でも受け入れることができるわけではありません。ただ、それが許されている者だけができるのです。というのは、母の胎内から、そのように生まれついた独身者がいます。また、人から独身者にさせられた者もいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。それができる者はそれを受け入れなさい。」(マタイの福音書19:3~19:12抜粋)』
この後に、本日の聖書箇所である、子どもたちの記事が挿入されているのです。結婚しなければ、子どもたちは存在しません。男性と女性が結婚して一つにならなければ、その胎の実は生まれて来ないのです。創造主なる神様は、人間を男と女とに創造され、「産めよ。増えよ。」と命じられました。
確かに、当時のユダヤでは、子どもは価値の無いもの、つまらないものと言う認識が根強くありましたが、主イエスは子どもたちを祝福しておられるのです。
つまり、主イエス様は、神様は、これらの一連の事実と真実から、結婚しないことよりも、結婚することを祝福しておられることが分かるのです。
もちろん、生まれつき不具合のある人や、他人に強制的に宦官にされた人は、独身でいることをも、主イエスは容認しておられることが分かります。》