◇◆◇日々のみ言葉
2021年10月15日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書21章33節~41節】
21:33「もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
21:34 さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。
21:35 すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。
21:36 そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。
21:37 しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、息子を遣わした。
21:38 すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』
21:39 そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。
21:40 この場合、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
21:41 彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
◎ショートメッセージ
《主イエスは、「二人の息子」のたとえの後、もう一つのたとえである「悪い農夫たち」の話を、ユダヤの指導者たちに話されました。
前のたとえの解き明かしにおいて、主イエスは、
「真に、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国にはいっているのです。というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。」
と言われましたが、まさしく彼らに取っては、屈辱の何物でもありませんでした。
しかも「罪人」の代名詞でもあった「取税人」や「遊女たち」のほうが、自分たちより先に神の国に入れると言うのですから。
しかし、主イエスは、彼ら全員が神の国に入れないことを断言したのではありません。彼らであっても、自分の罪を言い表わし、悔い改め、主イエスを「救い主」として、心から信じ、「ナザレのイエスこそ私の主である」と口で告白すれば、救われて「神の子ども」とされるのです。永遠の命をいただけるのです。
そして今度は、やがて彼らが、神の御子であるご自身に対して、行なうことになる「罪」について、預言されたのです。
『しかし、そのあと、その主人は、「私の息子なら、敬ってくれるだろう。」と言って、息子を遣わした。すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。「あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。」そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。』と。
明日は同じ箇所から、このたとえの解き明かしとなります。》