• 2021年10月24日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き13章1節~3節】(新約p.259下段右側)
    13:1 さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。
    13:2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、私のためにバルナバとサウロを聖別して、私が召した働きに就かせなさい」と言われた。
    13:3 そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。

    ◎メッセージ【アンティオキア教会】
    《アンティオキアとは、ローマ帝国シリア州の首都であり、非常に栄えた商業都市で、シリアの町として、紀元前300年に建設されました。紀元前64年に、シリアはローマの属州となり、バルナバが遣わされた頃の人口は約50万人と考えられいます。ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第三の都市でした。
     さて、このアンティオキア教会はバルナバによって形成された教会です。彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人でありました。まさに「慰めの人」のニックネームの通りに、彼の人柄によって、愛と慰めと慈愛に満ちた教会が建てあげられたと言えるでしょう。
     バルナバは一人で二年間孤軍奮闘しましたが、ついに限界を覚え、タルソにいたサウロをアンティオキアに連れて来ます。そして二人は、まる一年の間、大勢の人たちを教え導きます。さらに、この間に、主イエスは素晴らしい同労者を与えて下さるのです。
     まず、「ニゲルと呼ばれるシメオン」です。マルコの福音書によりますと、
    『兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。』と書かれてあって、彼と彼の妻と二人の息子たちは、主イエスの十字架に居合わせ、関わった事が分かります。
     次に、クレネ人ルキオです。ルキオの略称がルカとなります。パウロと行動を共にし、福音書と使徒の働きを執筆した医者ルカと同一人物であるとも言われています。
     そして、最後に書き記されているのが、「領主ヘロデの乳兄弟マナエン」です。この人物がアンティオキア教会に導かれた詳しい経緯は分かりかねますが、国主ヘロデ・アンティパスが追放された時か、もしくは、ヘロデ・アグリッパが急死した時に、宮殿から離れたとも考えられます。乳兄弟とは、ヘロデ大王によって、次男アンティパスと共に、幼い頃から一緒に宮殿内に育ち、また共に教育を授かった者であると言うことです。
     しかし一つの疑問が残ります。いったい宮殿や王室の仕事に携わっていたマナエンが、いつ主イエスを信じる信仰を持ったのか、と言うことです。
     ヨハネの福音書には、「第二のしるし」として、「カペナウムの役人の息子のいやし」の記事が掲載されています。このカペナウムの役人は、直接、主イエスに会っています。しかも、危篤状態であった息子を奇跡的に癒してもらったのです。その時、「彼自身も家の者たちもみな信じた」と書かれており、この人物こそがマナエンである事は疑いのないことだと思われます。それだからこそ、共観福音書に宮廷内に起こった出来事が、詳細にわたって書かれているのです。
     紀元70年、エルサレムがローマ軍によって滅亡した後には、このアンティオキアこそが、クリスチャンの信仰の中心となって行きます。その為に、主イエスは、アンティオキア教会に、この五人の指導者を集められたのです。
     さて、そのアンティオキア教会に聖霊が臨まれます。「さあ、私のためにバルナバとサウロを聖別して、私が召した働きに就かせなさい。」と。
     それゆえ、シメオンとルキオとマナエンは、バルナバとサウロに按手をして、異邦人伝道の地へと送り出すことになります。二人による第一次伝道旅行が始まります。私たちも、彼らと同じように、この世に遣わされた主イエスの証し人でもあるのです。》

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