◇◆◇日々のみ言葉
2021年11月2日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書22章41節~46節】
22:41 パリサイ人たちが集まっているときに、イエスは彼らに尋ねて言われた。
22:42「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼は誰の子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」
22:43 イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、
22:44 『主は私の主に言われた。「私があなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、私の右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。
22:45 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」
22:46 それで、誰もイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはや誰も、イエスにあえて質問をする者はなかった。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
主イエスは集まって来たパリサイ人たちに言われました。
「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、『主は私の主に言われた。「私があなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、私の右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。」
ここで、主が引用されたのは、詩篇110篇の「ダビデの賛歌」からです。
『主は、私の主に仰せられる。「私があなたの敵をあなたの足台とするまでは、私の右の座に着いていよ。」(詩篇110:1)』
最初の「主」は、YHWHです。直訳するとこうなります。「私の主への【主】の言葉」と。明らかに、ダビデは「主イエス・キリスト」を「私の主」と呼んでいます。ダビデは、御霊によって、主イエス・キリストを啓示されたのです。
新改訳は非常に分かりにくい訳になっています。ここに現代訳を掲載します。
『「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼は誰の子孫ですか。」
彼らはイエスに、「ダビデの子孫です。」と答えた。
すると、イエスは彼らに言われた。
「それでは、ダビデはどうして御霊に導かれて詩を作った時、主と呼んだのでしょうか。詩篇には、こうあります。
『神は、私の主に仰せられた。
「私があなたの敵を、完全に征服してしまうまでは、私の王座に着いていなさい。」』
このように、ダビデはキリストのことを主と呼んでいるのですから、キリストは単なるダビデの子孫であるわけがありません。」(現代訳マタイ22:42~22:45)』
このようなパラドックスを、もっとも体験することになったのは、主の母マリアではないでしょうか。自分が産んだ子が、乳を与えて育てた子が、主なのですから。
また、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの四人の弟たち、そして妹たちさえも、自分たちの兄が、主であるのですから。
そして、ゼベダイの子ヤコブとヨハネも、物心着く前から慕っていた、従兄弟のお兄さんが、メシアなのですから。
明日から、マタイの福音書の学びも第23章に入ります。》