• 日々のみ言葉 2021年11月3日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年11月3日(水)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書23章1節~4節】
    23:1 そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、
    23:2 こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。
    23:3 ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。
    23:4 また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。

    ◎ショートメッセージ
    《今日から、マタイの福音書も第23章に入ります。主イエスの十字架が、いよいよ近くなって来ました。

     新改訳は非常に分かりにくい訳なので、現代訳を掲載します。
    『そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、こう言われた。
    「律法学者やパリサイ派の人たちは、モーセの座について、権威ある者として人々を教えています。ですから、彼らがあなたがたに言うことは、すべて実行し、守りなさい。しかし、彼らのすることを見倣ってはいけません。彼らは言うだけで、実行しないからです。
     彼らは、旧約聖書の律法を間違って解釈し、それを人間の規則として、重い荷物のように、人々に課しますが、自分たちはそれを実行できるように、指一本も貸そうとはしません。」(現代訳マタイ23:1~23:4)』

     私が最初に門を叩いた教会は、聖書を重んじる教会でした。しかし、教理的にはカルトではありませんでしたが、それに近いグループでした。
     なぜなら、自分たちの教理だけが正しいと主張し、他の教会を一切認めようとはしなかったからです。特にバプテスマに関しては、全浸礼のみを唱え、決して滴礼を認めようとはしませんでした。よって、過去に滴礼を受けた人は、全浸礼をやり直すことになるのです。

     昔はそれが当たり前であると思っていましたが、開かれた神学校にて学び、また牧師として奉仕をするにつれ、それがいかに神様の御前において、罪深いことであるのか、聖霊様によって教えられたのです。

     バプテスマは、たとえ滴礼であっても、全浸礼であっても、父・子・聖霊の御名によって授けられます。つまり、滴礼が無効であるとするならば、父・子・聖霊の御名を無効にすることになるのです。これは、三位一体なる神様に対しての、侮辱の何物でもありません。
     また、救われた私は、喜びに満ち溢れましたが、やがて教会が課す、救われる以前よりも重い荷物を背負わされることになったのです。まさに、今日の聖書箇所において、
    『法学者、パリサイ人たちは、重い荷をくくって、人の肩に載せる』ようなものでした。

     また、このグループは、聖霊様を否定します。聖書を誤りなき神の言葉と言いながら、癒しや奇跡や預言や異言を否定します。それは、まさに聖書を信じると言いながら、聖書を否定していることになるのです。

     しかし、そのグループに導かれたからこそ、今の私があります。私は、決して自分が正しいとは思わないのです。もしかしたら、私が間違っているかも知れないと、いつも謙虚に学ぶ姿勢を、聖霊様は要求されるからです。間違えるのが人間です。

     私は、カトリック教会も、決して間違っているとは思いません。その中にも、聖霊様と共に歩んでおられる、素晴らしい司祭やブラザーやシスターがおられます。
     大切なことは、助け主であられる聖霊様と共に歩むことなのです。明日も同じ箇所からとなります。》

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