◇◆◇日々のみ言葉
2021年11月14日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書23章25節~26節】
23:25「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
23:26 目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、主イエスは、パリサイ人や律法学者たちのその真の姿を浮き彫りにしておられます。彼らの心の問題を、心の闇を、明らかにされています。
パリサイ人や律法学者たちは、一目でそれと分かるような格好をしていました。今のイスラエルにおいても、それは一目瞭然です。
それが、「あなたがたは、杯や皿の外側はきよめる」と主が言われたことなのです。
かつて、最後の士師サムエルが、サウル王の代わりとなる王に、ベツレヘムに住むエッサイの子どもたちに、油を注ぎに行った時のことです。
『「いけにえをささげるときに、エッサイを招け。あなたのなすべきことを、この私が教えよう。あなたは私のために、私が言う人に油をそそげ。」
サムエルは主が告げられたとおりにして、ベツレヘムへ行った。すると町の長老たちは恐れながら彼を迎えて言った。
「平和なことでおいでになったのですか。」
サムエルは答えた。
「平和なことです。主にいけにえをささげるために来ました。私がいけにえをささげるとき、あなたがたは身を聖別して私と一緒に来なさい。」
こうして、サムエルはエッサイとその子たちを聖別し、彼らを、いけにえをささげるために招いた。彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、
「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。
しかし主はサムエルに仰せられた。
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。私は彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(第Ⅰサムエル記16:3~ 16:7) 』
特に、神様がサムエルに語られた最後の言葉、
「人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」ことこそが、まさに真理です。
パリサイ人や律法学者たちは、確かに見た目において、またその行動において、人々の目には、清く正しい人と映っていたのです。
しかし、神様の目には、その内側は欲望と強奪と放縦でいっぱいであることが見抜かれていたのです。
神様は、私たちの心をご覧になられます。》