◇◆◇日々のみ言葉
2021年11月15日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書23章27節~28節】
23:27「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
23:28 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法で一杯です。」
◎ショートメッセージ
《神様は、私たち人間の心を見られるのです。人間が、どれほど外側を上手く繕ったとしても、内側に隠れているものは、必ず表に現われて来るのです。
「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。」
この言い方を、この言葉を、主イエスは何回にわたって彼らに突きつけているのでしょうか。今回の箇所で、実に6回にも及んでいるのです。
23:13「しかし、忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。」
23:14「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。」
23:15「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。」
23:23「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。」
23:25「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。」
23:27「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。」
そして、最後は23章29節です。何と合計7回も主は言われています。
23:29「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。」
ちなみに、現代訳では、
「ああ、災いだ。偽善の律法学者、パリサイ派の人たち。」となっています。
この言葉を突きつけられた彼らは、まさしく歯ぎしりするほどに、怒りを覚えたに違いありません。なぜなら、彼らは自分たちこそが、もっとも聖く正しく、神の御前に立つことが出来ると言う自負があったからです。
墓の中身については、いまさら言うまでもないことです。当時は、火葬ではなく、埋葬でしたから。
彼らの心の中がそうだとしたら、かつての私たちも実はそうであったに違いありません。しかし、私たちの中には、聖霊様が住んでおられます。聖霊様が、私たちの内側を聖めて下さるなら、自然に外側も聖められて行くはずです。
思い違いをしてはならないのです。聖くない者は、決して主を見ることは出来ないのです。
『すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。(ヘブル12:14)』
私たちは、自分の心を見張る必要があります。》