◇◆◇日々のみ言葉
2021年11月19日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書24章1節~2節】
24:1 イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
24:2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
◎ショートメッセージ
《今日から、マタイの福音書は第24章にはいります。
主イエスの十字架は、紀元29年もしくは紀元30年の頃だと言われています。実際のところ、主イエスがお生まれになった年が、正確には限定出来ないからです。
しかし、明確に分かっていますことは、ヘロデ大王が死んだ年が、紀元前4年であると言うことです。
とすれば、ユダヤは「数え」を用いますので、主イエスがベツレヘムにおいて生まれたのは、紀元前5年もしくは紀元前6年頃になるはずです。それは、ヘロデがベツレヘムとその周辺の二歳以下の男の子を殺戮したことから割り出せます。
よって、弟子たちが神殿に見とれたのは、紀元29年~30年のことになります。
さて、弟子たちは、もう何度もエルサレムに巡礼しているはずなのですが、ヘロデが建築した神殿の素晴らしさに、改めて目を見張ったようです。
この神殿は紀元前20年頃から着工し、84年かかって、紀元64年に、完成します。よって、この時にはまだ完成途中であったわけですが、エルサレムに来るたびごとに、神殿の壮麗さが増し加わっていたに違いありません。
しかし、主イエスは言われます。
「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」と。
この預言は、紀元70年に成就します。すべての城壁の石垣が崩されるのです。完成からわずか、6年で、しかも数日間で、城壁はローマ兵たちによって崩されます。
その理由は、神殿が燃えて、その高熱で金塊が溶け出し、重なっている石と石の間に、流れ込んだのです。それゆえに、屈強のローマ兵たちが、石を取りのけて「金塊」を手に入れようと躍起になったのです。
しかし、時々思うことがあります。サウロを除いて、パリサイ人や律法学者たちは、この時すでに、主イエスの年齢を遙かに超えています。その彼らが、約40年後に起こる預言の成就を見ることが出来たのでしょうか、と。》