• 2021年11月28日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き13章38節~43節】(新約p.262上段右側)
    13:38「ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、
    13:39 この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。
    13:40 ですから、預言者たちの書に言われているようなことが起こらないように、気をつけなさい。
    13:41 『見よ、嘲る者たち。驚け。そして消え去れ。私が一つの事をあなたがたの時代に行うからだ。それは、だれかが告げても、あなたがたには信じがたいことである。』」
    13:42 二人が会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。
    13:43 会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みに留まるように説得した。

    ◎メッセージ【パウロのメッセージそのⅢ】
    《さて、パウロはここで「兄弟たち」と呼びかけています。前半部では「イスラエル人の皆さん。並びに神を恐れる方々」、中間部では「アブラハムの子孫である兄弟たち。並びに、あなたがたのうちの神を恐れる方々」、後半部は主にある「兄弟たち」と呼びかけています。
    「このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。」
     この言葉に対して、聴衆の反応は大きく二つに分かれます。正統的ユダヤ人は、律法と昔の人の言い伝えを守ることによって、義となることを堅く信じており、信じるだけで義とされるはずはない、と憤慨し反発します。
     そしてもう一つは、異邦人の改宗者たちで、律法を完全に守ることが出来ない、守ることは非常に難しいと常日頃から感じており、彼らにとっては、まさに朗報となるわけです。
     この時には、まだ「ローマ人への手紙」は執筆されてませんが、もうすでにパウロの中では、主イエスを信じることだけが義とされることを、神学的において確信しているのです。後にパウロは、ローマ人への手紙において、そのことを明確にしています。
     次にパウロは、650年前に書かれたハバクク書を引用し、彼らに注意を促しています。
    『「異邦の民を見、目を留めよ。驚き、たじろげ。私は一つの事をあなたがたの時代に行なうからだ。それが告げられても、あなたがたは信じない。」』と。
     つまり、神様の救いが異邦人に向けられることであり、そのことを、ユダヤ人たちは信じることが出来ない、と言うことです。
     パウロが奨励の言葉を終えると、多くの人々が、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだのです。主ご自身が、救われるべき魂を用意しておられたのです。
     パウロのメッセージを聞いて、彼らは心を打たれました。彼らは知っていました。いくら律法や昔の人の言い伝えを守ったとしても、心の中にある罪意識は消えないことを。
     集会が終わると、多くのディアスポラのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが二人の後をついて来ました。そして、二人が泊まっている所に押しかけ、伝承では、夜遅くまで語り合ったと言われています。この時、多くの者が救われたのです。パウロとバルナバは、神の恵みに留まるように説得しました。
     それでは、具体的に「神の恵みに留まる」こととは、どのようなことなのでしょうか。それは、主イエスに留まることです。主イエスは、十字架にかけられるに、弟子たちに語ります。
    『「私に留まりなさい。私もあなたがたの中に留まります。枝がぶどうの木に留まっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたも私に留まっていなければ、実を結ぶことはできません。私はぶどうの木、あなたがたは枝です。人が私に留まり、私もその人に留まっているなら、その人は多くの実を結びます。私を離れては、あなたがたは何もすることができないのです。父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛しました。私の愛に留まりなさい。」』と。
     これが真理です。神様は、私たちから離れようとはされません。私たちの方から離れるのです。それだからこそ、主イエスは「留まりなさい」と言われるのです。
     たとえ何があっても、主イエスのもとに留まるべきです。神様の恵みの中に、主イエスの愛の中に留まり続けるべきです。》

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