◎本日の聖書箇所【ルカの福音書1章26節~38節】(新約p.107下段右側)
1:26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
1:28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます。」
1:29 しかし、マリアはこの言葉にひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
1:30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
1:32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
1:34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは何もありません。」
1:38 マリアは言った。「ご覧下さい。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉どおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。
◎メッセージ【受胎告知】
《マリアの婚約者はダビデの子孫である大工のヨセフです。この時すでにヨセフは大人で、すでに一人前の大工として働いていたようです。またマリアは、この時13歳から14歳であったと伝えられています。ルカは、マリアの系図をその福音書に掲載しています。マリアもダビデの子孫なのです。しかもダビデとウリヤの妻バテシェバとの子どもから、ヨセフとマリアの系図は別れることになります。つまり、どちらもダビデとバテシェバの血を継いでいることになります。イザヤ書には、メシア誕生の預言が二つ掲載されています。
『それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。』
『エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である。その日になると、エッサイの根は諸々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼の留まる所は栄光に輝く。』
この二つの預言から、ダビデの直系の子孫となる乙女たちは、自分こそがメシアを宿すかも知れないと期待して育ったのです。マリアも同じです。そんなマリアの所に、御使いガブリエルが訪れます。
「恐れることはありません。マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」
御使いは、その子の名前を教えます。実はこの名前は、ユダヤではありふれた名前でした。出所はモーセです。民数記によりますと、「モーセはヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた」とあって、その意味は「主は救い」で、そしてギリシャ語音読みしますとイエスとなります。 当時のユダヤの町には、「イエス」と言う名の男性が数多く存在していたのです。それ故、主イエスは「ナザレのイエス」と呼ばれることになるのです。
マリアは答えます。
「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」
なぜ、数多く存在するダビデ直系の処女の中から、マリアが選ばれたのでしょうか。それには、マリアの従姉妹エリサベツの存在が非常に大きいかと思われるのです。それ故に、ルカはバプテスマのヨハネ誕生の記事を、福音書に真っ先に書き記したのです。
祭司ザカリヤの所へ、御使いガブリエルが現われます。
「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって、あふれるばかりの喜びとなり、多くの人もその誕生を喜びます。その子は主の御前に大いなる者となるからです。」
ルカは、二つの奇跡を描いています。一つは、老女懐妊です。しかもマリアの従姉妹エリサベツはアロンの直系の子孫なのです。まさしく、バプテスマのヨハネの誕生も、このように選ばれ定められていたのです。
そしてマリアの処女懐妊。マリアは言います。
「ご覧下さい。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉どおり、この身になりますように。」と。
この言葉に、マリアの信仰と、そして決意とが感じられます。実はすでに準備が整っていたのです。マリアは、こうなる前にすでに覚悟が出来ていたのです。そして、全知全能の神様が、人となって生まれてくるのです。十字架にかかる為に。》