• 日々のみ言葉 2022年2月21日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年2月21日(月)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書27章32節】
    27:32 そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。

    ◎ショートメッセージ
    《ローマ総督の兵士たちは、主イエスを官邸の中に連れて行き、主イエスの回りに全部隊を集めたとあります。その指揮をしたのは、千人隊長であったと思われます。そして、百人隊長が部下と共に、主イエスをゴルゴタの丘に連れて行きます。もちろん十字架につけるために。この時、他の二人の強盗も引き出されます。行き先はもちろん同じです。

     なぜ、千人隊長は全部隊を集合させる必要があったのでしょうか。それは、暴動すれすれまで、群衆の気持ちが異常に高揚していたからに違いありません。主イエスは、十字架を担いで「ヴィア・ドロローサ」を一歩一歩上って行かれます。
     この時、主イエスが担いでいた十字架には、二つの説があります。一つは罪人がくくりつけられる十字架の横棒の一本の木です。もう一つは、文字通りの十字架そのものです。どちらの説が正しいのかは分かりません。主イエスをテーマとした多くの映画においても、横棒一本とするもの、あるいは十字架そのものと分かれています。
     私は、あえて「十字架」と考えています。なぜなら、異端である「エホバの証人」は、主イエスは一本の木に、両手を重ねて犬釘で固定されてと主張します。十字架を否定するのです。十字架こそ、私たちが誉め讃えるべき最大の御わざです。十字架を否定するものは、敵である悪魔・悪霊どもの常なのです。

     さて、本文に戻ります。マタイはここで何と書き記していますか。十字架です。
    『そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。』

     主イエスは、ご自身がくくりつけられる十字架を担ぎながら歩かれました。しかし、むち打たれた背中の傷と激しい痛みに、何度も倒れられたのです。そして、ついに歩くことが不可能なまでに衰弱されたのです。
     そこへ、家族と共に通りがかったのが、クレネ人シモンです。妻と二人の子どもたちを連れていました。

     マルコによりますと、
    『そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。(マルコ15:21)』と書き記されています。
     ここで、二人の息子の名前が登場します。後に、クリスチャンとなって、パウロの伝道を助けることになるのです。また、マルコも明確に「イエスの十字架」と書き記しています。だからこそ「十字架」なのです。
     クレネ人シモンは、主イエスの十字架を担ぎながら、主イエスの後を付いて行きます。その父を見ながら、妻と二人の息子も付いて行くのです。彼らは、ゴルゴタにおいて、最後までその場に居合わせたと私は信じているのです。》

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