◇◆◇日々のみ言葉
2022年2月23日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書27章33節~36節】
27:33 ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、
27:34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
27:35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
27:36 そこにすわって、イエスの見張りをした。
◎ショートメッセージ
《マタイの福音書の学びも、いよいよ「主イエスの十字架」の場面に来ました。主イエスはなぜ十字架にかからなければならなかったのでしょうか。これしか、人間が救われる方法がなかったからです。
なぜなら、罪と死は一人の人間を通して入って来ました。
パウロは、ローマ人への手紙に、
『そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、それというのも全人類が罪を犯したからです。
というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。
ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。
ただし、恵みには違反のばあいとは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。(ローマ5:12~5:15)』と奥義を述べています。
つまり、恵みは、ひとりの人、主イエス・キリストによって、すべての人にもたらされることになるのです。主イエスの十字架こそ、身代わりの十字架なのです。私たちが生きる為に、主イエス様が死んで下さったのです。そして三日目によみがえられました。
これは、悪魔の最後の武器である「死」を打ち破ることになります。
ところで、現在のエルサレムにおいて、どの場所が「ゴルゴタ」を指すのか、意見が分かれていることは、良く知られています。「ゴルゴタ」とは「どくろ」と言う意味です。
新聖書辞典には、
『この場所が実際にどこにあったかという点については、
(1)現在の聖墳墓教会のある場所(コンスタンティヌス帝以来の伝承)
(2)オットー・テニウスが提唱し、後にチャールズ・G・ゴルドンが支持した「ゴルドンのカルバリ」、つまりダマスコ門の北東約230メートルの地点にある岩山(ユダヤ人の石打ち刑が執行された所で、「エレミヤの洞穴」もある、とする2説が有力である。』と書き記されています。
特に、(2)の場所の発掘調査が、数十年前に行なわれたことがありましたが、現在イスラエル政府によって、その場所は、発掘禁止および立ち入り禁止となっています。なぜなら、その場所こそが、本物のゴルゴタだからです。》