◇◆◇日々のみ言葉
2022年2月24日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書27章33節~36節】
27:33 ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、
27:34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
27:35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
27:36 そこにすわって、イエスの見張りをした。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
主イエスは、クレネ人シモンが運んで来た十字架の上に乗せられました。この時、この刑の執行にあたったのは、百人隊長ユリウス率いるローマ兵でありました。おそらく4人組のローマ兵ではないでしょうか。主イエスは、まず両手を伸ばされ、手首に長さ20cmの犬クギが打たれます。
しかし、実際にこれを行なったのは、ローマ兵の下で働く死刑執行人の僕たちであったとも考えられるのです。ローマ兵たちは、群衆からの警護と無事に刑が執行出来るよう、見張っていたかも知れません。
ある映画では、この時、主イエスが叫び声を上げるシーンとして描かれています。実際にも主はうめき声を出されたに違いありません。そして、最後に両足をそろえられて、さらに太くて長い犬クギによって、足首を突き通されるのです。やがて十字架が立てられます。
そうすると、両手首と足首に全体重が掛かることになります。その痛みは想像を絶するものだと言われています。多くの場合、囚人は二・三日、十字架上で苦しむことになります。
主イエスは、すべての人の罪の為に、身代わりとなって、その裁きを一身に受けて下さいました。そして、神の小羊として死んで下さったのです。
何の為に。私たちが永遠に生きる為にです。このお方を心から自分の救い主であることを信じ、罪を悔い改めて、その口で「イエスは私の主です」と告白する者は、罪赦され「永遠のいのち」を授かり、神の子どもとされるのです。
さて、「彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした」と書かれています。これを実際に行なったのは、死刑執行人の僕たちであると思われます。
これは、のどがカラカラに渇ききる囚人ののどを潤す為ではなく、酢と変化した古いぶどう酒を飲ませることによって、さらに痛みと苦しみを与えようとするものなのです。主イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされませんでした。
次にローマ兵たちが行なったことは、くじを引いて、主イエスの着物を分けることでした。この時、ダビデによって与えられた預言が成就します。
『彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。(詩篇22:18)』との預言が。》