◇◆◇日々のみ言葉
2022年3月3日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書27章39節~43節】
27:39 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
27:40 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
27:41 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちと一緒になって、イエスをあざけって言った。
27:42 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様なら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、我々は信じるから。
27:43 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『私は神の子だ。』と言っているのだから。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、一昨日と昨日の同じ箇所からとなります。
「もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様なら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、我々は信じるから。彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『私は神の子だ。』と言っているのだから。」
道行く人々、そして集まっていた祭司長たち、律法学者や長老たちは、主イエスをこのようにあざけりました。
何と言う冒涜であることでしょうか。しかも彼らは、まさしく神をも畏れない者たちであることが分かります。
この時、主イエスは、十字架から降りることが出来たのでしょうか。普通の人ならば当然不可能です。
主イエスは、確かに私たちと同じ人としての肉体を持たれましたが、その中に宿られたのは、住んでおられたのは、神の御子と言う第二位格の霊的存在であるのです。
つまり創造主なる神様ご本人なのです。よって、当然神様としての力と不思議を、いともたやすく行なうことが出来たのです。つまり、十字架から降りることは簡単に出来たと言うことなのです。
しかし、あえてそれをなさいませんでした。主イエスは、紛れもなくご自身の決断の下に命を捨てられるのです。
また、主イエスは、自分をあざける者たちや、ローマ兵たちを、ご自身の言葉を持って、一瞬に滅ぼすことも出来ました。しかし、あえてそれをなさいませんでした。その力と権威をあえてお使いにはなりませんでした。
もし、十字架から降りたのなら、もし、自分を取り巻くあざける者たちを滅ぼしたのなら、私たち人類には、一切の救いはありません。一切の希望も、望みも何もないのです。まさに滅び行く者となって、やがて死ぬことになります。そうではないのです。
主イエスは、すべての人々の身代わりとして、十字架にかかって死んで下されました。私たちが、永遠に生きる為に。》