◇◆◇日々のみ言葉
2022年5月29日(日)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙2章17節~24節】
2:17 もし、あなたが自分をユダヤ人ととなえ、律法を持つことに安んじ、神を誇り、
2:18 みこころを知り、なすべきことが何であるかを律法に教えられてわきまえ、
2:19 また、知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任しているのなら、
2:20 前節に合節
2:21 どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。
2:22 姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。
2:23 律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。
2:24 これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている。」と書いてあるとおりです。
◎ショートメッセージ
《一昨日と昨日と同じ箇所からです。パウロの言われた教えの続きとなります。
「偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。」
これは、「十分の一献金」のことについて言われています。確かに、新約聖書には、具体的には、「十分の一献金」についての教えと勧めは書かれてはいませんが、主イエス様は、ないがしろにすべきではないことを、明確に語られています。
マタイによりますと、
『「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。」(マタイ23:23)』と。
「ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません」と言われた言葉こそがそうなのです。主イエス様は、マラキ書に書かれた言葉を、決して否定してはおられません。
マラキ書によれば、
『人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたは私のものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、私のものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。
十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、私の家の食物とせよ。こうして私を試してみよ。万軍の主は仰せられる。私があなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかを試してみよ。(マラキ3:8~3:10)』と書かれています。
この言葉は、父なる神様がマラキを通して語られたものですが、主イエス様も言われたことであると、私は信じています。》