◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書15章9節~12節】(新約聖書p.216上段左側)
15:9 「父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛しました。私の愛にとどまりなさい。
15:10 私が私の父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたも私の戒めを守るなら、私の愛にとどまっているのです。
15:11 私の喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、私はこれらのことをあなたがたに話しました。
15:12 私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これが私の戒めです。」
◎メッセージ【私があなたがたを愛したように】
《使徒ヨハネは、福音書において自分自身のことをこのように書き記しています。
『弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていた。イエスが愛しておられた弟子である。(ヨハネ13:23)』と。
ヨハネは、主イエスの実の従兄弟であり、また十二弟子の中で、一番若かったと言われています。主イエスは、ご自身の弟たちや妹たちよりも、このヨハネを愛しておられたようです。もちろん弟と妹をも愛しておられたことと思いますが、彼らは主イエスが十字架につけられて死ぬ時まで、信じようとはしませんでした。
また、ヨハネ自身も、主から愛されたことを十分知っていたことは間違いありません。後に、主イエスの復活の生き証人の最後の一人として、キリスト教会の長老として、ヨハネは、その手紙において、主の愛について語っています。
『愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。』と。
神様の愛とは、それは「十字架」です。身代わりの死であり、流された尊い血潮です。本来、私が受けるべき罪の裁きを、身代わりとして受けて死んで下さいました。
それだけではありません。私が永遠に生きる為に、3日目によみがえられたのです。ここに「神様の愛」があります。頭では分かっています。知識では分かっているのです。しかし、本当に神様の愛を、直接、身を持って体験しなければ、分からない事も事実なのです。
主イエスに真剣に祈り求めれば、主はお会いしてくださいます。その時、すべての栄光は父なる神様に帰せられることになるのです。
神様は、本当に私たち一人一人を愛しておられます。私は愛されています。あなたも愛されています。》