◇◆◇日々のみ言葉
2022年7月24日(日)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙6章15節~16節】
6:15 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
6:16 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『6:15 それでは、私たちは律法の奴隷ではなく、救いの恵みに生かされて自由な者となったのなら、罪を犯してもかまわないのだろうか。とんでもないことだ。
6:16 あなたがたはこんなことが分からなかったのか。だれであっても、もし自分自身だれかの奴隷として服従するなら、その人の奴隷となる。つまり罪の奴隷ともなりうるし、神の奴隷ともなりうる。ただし、罪の奴隷は死ななければならなくなるが、神の奴隷は天国に行けるようになる。』
こんなはなはだしい誤解をする人がいます。
「主イエス様によって、罪赦されたから、これからいくら罪を犯したとしても、その罪もすでに赦されたのだから、何をしても良いのだ」と思う人です。
そうではないのです。あなたが悔い改め、主イエス様を救い主として受け入れた瞬間までの、すべての罪が赦されたと言うことです。それは父なる神様の目にはです。
しかし、それまで犯して来た罪の償いは別です。だまし取った負債があったとしたら、それを一生かけても返し続けなければならないことは、言うまでもないことです。
そして、それ以後に犯した罪があるとしたら、主イエス様の十字架の御元に進み出なければならないのです。多くの場合は、知らずに犯した罪が該当します。
しかし、ここでパウロが言っていることは、それとは違います。すなわち、故意に罪を犯すことであり、意思を持って罪を犯し続けることなのです。
もし、罪を犯し続けることをあえて選ぶとしたら、その人は再び罪の奴隷になります。
しかし、罪を犯すことを避け、み言葉に従い、助け主である聖霊様と共に歩むならば、まさに神様の奴隷となるのです。
人は、同時に二人の主人に仕えることは出来ません。主なる神様に仕えるのか、あるいは世(富・空中を支配する権威者)に仕えるのか、どちらかしかないのですから。それを、私やあなたは、選べると言うことなのです。》