• 日々のみ言葉 2022年7月29日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年7月29日(金)

    ◎聖書箇所【ローマ人への手紙7章1節】
    7:1 それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。私は律法を知っている人々に言っているのです。

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載します。
    『7:1 信者のみなさん。あなたがたはこのことを知らないわけではあるまい。法律というものは、その人が生きている間だけ、その人を拘束する。』

     この箇所においては、新改訳と現代訳では、かなり異なっています。一番大きな点は、「律法」が「法律」となっている所です。なぜ「法律」としたのか分かりかねますが、たとえとして、パウロが挙げていますから、あえて「律法」ではなく「法律」にしたのかも知れません。

     さて、パウロは、「私は律法を知っている人々に言っているのです」と、誰に対して語っているのか、その対象となる者を明確にしています。すなわちユダヤ人です。

     創造主なる神様は、選民ユダヤ人に「律法」を与えました。しかし、ユダヤ人を通して与えられた「律法」は、全人類に対しても与えられたのです。
     だからと言って、ユダヤ人のように、詳細にわたる「祭儀律法」などを、忠実に守る必要はありません。つまり、過越のいけにえである小羊を、全焼のいけにえとして捧げる必要はないのです。今でもサマリアなどでは、忠実に行なわれていますが。

     私たちは、新約の時代に生きています。主イエス様によって、ユダヤ人に与えられた「律法」は成就し廃棄されました。
     主イエス様を信じる者には、律法は何の効力をも発揮しません。なぜなら、主イエス様と共に、十字架につけられ死んだからです。そのことをパウロはここで言っています。
     もちろん、私たちは実際に死んだのではありません。しかし、そのように理解しなさい、とパウロは勧めるのです。

     新約の時代における律法は、「神様を愛し、自分を愛し、隣人を愛しなさい」と言う「三つの愛」に生きることです。
     神様(父なる神様・主イエス様・聖霊様)を心から愛する人は、自分を愛することが出来ます。なぜなら、数えきれないほどの愛を注がれているからです。そして自分を愛することが出来る人は、隣人(他人)を愛することが出来るのです。それは、自分に注がれる愛が溢れて、こぼれ落ちて、その愛で他人を愛することが出来るのです。
     つまり、神様の愛が分からなければ、その人の中に愛はないことになります。神様の愛は、「十字架」によって現わされています。》

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