◇◆◇日々のみ言葉
2022年8月1日(月)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙7章7節~11節】
7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
7:8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。
7:9 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。
7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
7:11 それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『7:7 それでは、律法は善くないものなのか。とんでもない。それどころか、律法によって初めて、私は自分の罪が分かったのである。つまり律法が、「むさぼってはならない」と言っていなければ、私は自分がむさぼりという罪を犯していることが、本当に分からなかった。
7:8 しかし罪は、戒めをうまく利用して、私のあらゆる欲情を呼び起こした。というのは、律法がなければ、罪の起こりうる契機もなかったからである。
7:9 私は以前は、律法と無縁の生き方をしていた。しかし、戒めを知った時、罪は力を持ち、
7:10私は、罪の下に霊的に死んだ存在になってしまった。命に導くはずの戒めは、実は私たちがそれを守れないために、結局、私たちを死に導くことが分かった。
7:11 罪は戒めをうまく利用して、私を欺き、戒めを盾にして私を殺したと言ってもよいだろう。』
以前のサウロもそうでしたが、パリサイ人や律法学者たちは、自分たちがいかに清い者であるのか、また、神様の御前に立つ者として相応しい者なのか自負していました。
特にサウロは、具体的な罪について、昔の学者が考え出した「ミシュナ(昔の人の言い伝え)」を、ほぼ完全に守っていたのです。
それこそが、永遠の命に導く唯一の道であると信じていたからです。それゆえ、ナザレのイエスを信じただけで救われ、罪が赦されるということが理解出来ず、また彼のプライドが許さず、クリスチャンを迫害して行きました。
「ダマスコ途上」において、復活の主と出会うまでは。
パウロは、主イエスにある者として、懐古的に語っています。律法(文字)は、すべての人を紛れもなく罪の中に引き込むのです。そこには死しかありません。律法を完全に守り通すことなど、誰も出来ないからです。明日も同じ箇所からです。》