• 日々のみ言葉 2022年9月3日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年9月3日(土)

    ◎聖書箇所【ローマ人への手紙8章38節~39節】
    8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
    8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からです。再度、現代訳を掲載します。
    『8:38 私はこう確信している。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
     8:39 高いものも、深いものも、そのほかどんなものでも、そのような被造物が、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない。』

     使徒ヨハネは、自分自身のことを「主イエスが愛された弟子」と呼んでいました。ヨハネの福音書には、ヨハネ自身の名前は出てきません。ヨハネの福音書に書かれた「ヨハネ」とは、バプテスマのヨハネを指しています。

     ヨハネの第Ⅰの手紙には、
    『愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
     神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させて下さいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(第Ⅰヨハネ4:7~4:10)』と、書かれています。

     十二使徒の中で、唯一、主イエスの十字架の御もとに付き添っていたのは、ヨハネだけでした。チームを組んでいたシモン・ペテロも、ゴルゴタの丘にはいたのですが、遠く離れた場所で、ガリラヤから主イエスについて来た女たちと、潜んでいたのです。
     ヨハネは、最後まで十字架の側を離れようとはしませんでした。それは、主イエスが、ヨハネの実の従兄弟であり、おそらくヨハネが生まれて、物心着く以前から、溢れんばかりの愛を注がれ、ヨハネも心底から主イエスを愛し慕っていたからです。

     同じように、使徒パウロも主イエスを愛したのです。最も、主イエスの方から、ダマスコ途上において、愛を示されたのですが。

     ヨハネの場合も、またパウロの場合も、主イエスの方から、愛を注いで下さったのです。私たち一人一人も、同じなのです。
     それゆえに、「被造物が、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない。」とパウロは証しするのです。》

Comments are closed.