• 日々のみ言葉 2022年9月8日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年9月8日(木)

    ◎聖書箇所【ローマ人への手紙9章14節~16節】
    9:14 それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。
    9:15 神はモーセに、「私は自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。
    9:16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんで下さる神によるのです。

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載します。
    『9:14 それでは、神は不正をなさったと言ってもよいのか。とんでもないことだ。
     9:15神は主権者として、昔モーセにこう言われたことがある。「私は自分があわれもうとする者をあわれみ、慈しもうとする者を慈しむ。」
     9:16 これは、救いが人間の意思や努力によるものではなく、ただ神のあわれみによることを、よく表わしている。』

     ここで、パウロは私たちの誰もが、一度は考えてしまう疑問について触れています。 それは、
    「神に不正があるのですか」あるいは、
    「神は不正をなさったと言ってもよいのか」と言う疑問です。

     アブラハムの子孫の中で、サラが生んだイサクを選び、イサクの双子の息子の中で、弟のヤコブを、神様が選ばれたことをです。これは不公平ではないのか、あるいはえこひいきではないのか、と言う疑問が起こります。

     パウロが引用していますのは、出エジプト記からです。原文は、
    『主は仰せられた。「私自身、私のあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。私は、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」(出エジプト33:19)』と、なっています。

     何度も言います。

     すべては恵みです。
     あなたが救われたことも。私が救われたことも。
     それは、私たちの意思や努力によるものではなく、ただ神様のあわれみによるのです。他人のことは他人のことなのです。私たちは、他人については、神様に委ねる以外にないのです。取りなしの祈りをする以外になすべきことはありません。しかし、取りなしの祈りこそが、扉を開く鍵になることを確信しています。》

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