◇◆◇日々のみ言葉
2022年9月11日(日)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙9章19節~22節】
9:19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」
9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。
9:21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。
9:22 ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐して下さったとしたら、どうでしょうか。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『9:19 そうすると、あなたはきっとこう言うだろう。「それなのに、なぜ神は人を責められるのか。神のご計画に逆らうことのできる者などいるだろうか。」
9:20 しかし、ここでよく覚えておかなければならないことがある。人が神に言い逆らうとしたら、いったい自分を何でと思っているのか。造られた者が造る者に向かって、「あなたは、どうして私をこのようなものに造ったのか」などと言えるだろうか。
9:21 陶器を造る者は、同じ土から尊いことに使われる器でも、つまらないことに使われる器でも造る権利を持っているのではないか。
9:22 ところで、もし神がご自分の正しさを示すために滅ぼそうとしておられた器を、情け深くも赦して下さるとしたら、どうだろうか。』
昨日の聖書箇所をも掲載しました。
ここで、パウロは「陶器師」のたとえを持って、創造主なる神様と、非創造物である私たち人間一人一人の関係を説明しています。私たちは、偶然にあるいは自然に生まれたのではありません。創造主なる三位一体の神様によって創造されたのです。
ダビデは詩篇でこう言っています。
『それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(詩篇139:13~139:16)』と。
これが真実です。
そんな私たち一人一人の為に、父なる神様は「救いの道」を用意して下さいました。御子イエス・キリストです。主イエスは、すべての人の身代わりとして、十字架にかかって死んで下さいました。そのことを、パウロは9章22節で言っているのです。
「ところで、もし神がご自分の正しさを示すために滅ぼそうとしておられた器を、情け深くも赦して下さるとしたら、どうだろうか。」と。》