• 2022年9月11日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き19章20節~22節】(新約聖書p.274下段真中)
    19:20 こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。
    19:21 これらのことがあった後、パウロは御霊に示され、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。
    19:22 そこで、自分に仕えている者たちのうちの二人、テモテとエラストをマケドニアに遣わし、自分自身はなおしばらくアジアにとどまっていた。

    ◎メッセージ【コリント教会の問題】
    《エペソにおけるパウロの伝道は、約三年にもおよびます。その間に、主はみ言葉に伴う様々な奇跡や御わざを成し遂げられ、主の言葉は益々力強く広まり、勢いを得て行ったのです。
     しかし、その間に「第2回伝道旅行」の時に、一年半、腰を据えた「コリント教会」の悪いうわさが流れて来たのです。それは、「不品行」の問題でした。
     パウロは、テトスを遣わし、コリント教会に手紙を送ります。それが「きびしい手紙」と言われたものです。その手紙の返事として、教会はパウロに質問状を出したのです。その質問状に対する返事が、第Ⅰコリントです。その手紙を、テモテとエラストの二人の弟子に託します。
     さて、パウロは御霊に示され、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにします。これはどのような事かと言いますと、陸路を経て、第2回伝道旅行の時に訪れた土地の教会を訪問し、兄弟姉妹を励まし、また献金を募る為でもありました。
     なぜなら、エルサレム教会は、経済的にかなり困窮していたからです。その反面、異邦人の教会は潤っていました。その献金を持って、エルサレムに上ることを示されたのです。パウロは、ピリピとテサロニケの教会を経てコリントに行くことになります。また、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言っています。
     ローマ人への手紙から、パウロは、まだ一度もローマに行ったことがないことが分かります。しかし、ローマにはすでにキリスト教会が存在していました。それは、ペンテコステの時にエルサレムに訪れていた、ローマ人の改宗者たちが、救われて、その後ローマに戻って教会を立てあげたからです。パウロの願いは、ローマに行き、ローマ人の聖徒を教え整え、そこからイスパニア(スペイン)にまで、足を伸ばすことにあったのです。
     さて、パウロは質問状に対する答えとして、第Ⅰコリントを執筆します。その後、「悲しみの手紙」をテトスに託して送ります。その次に書かれたのが、第Ⅱコリントなのです。パウロは、コリント教会に対して四通の手紙を書きました。しかし、一通目の「きびしい手紙」と、三通目の「悲しみの手紙」は失われてしまったのです。
     この背景には、主イエスの御心が働かれたのではないかと思われるのです。必要なものは、たとえ何があっても残りますし、不必要なものは、やはり残らないのです。
     これは私たちの働きにも言えるかと思います。主に取って、私たち一人一人に必要なものは、必ず残され、それが取り去られることはありません。しかし、その反対に、不必要なものは、どんなに残そうと思ったとしても、取り去られることになります。
     失われれた2通の手紙は、もしかしたら、読む人に慰めと希望を与えることが出来なかったのかも知れません。》

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