• 日々のみ言葉 2015年8月3日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年8月3日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書3章20節】

    3:20 イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。

    ◎ショートメッセージ

    《このみ言葉を、私は忘れることができない。このみ言葉のメッセージを、かつて北海道札幌に出張した時に、「愛隣チャペル」にて、聞かせていただいたからである。そう有名な「MEBIG」発祥の教会である。もう何十年も前のことである。その時、初めてお会いした権平先生に、その十数年後の2001年3月、上野にあるJTJ宣教神学校の教室において、今度は、神学生としてお会いさせていただいた。授業内容は、ずばり日曜学校「MEBIG」であった。

     札幌の出張の時は、前日の水曜日に羽田から千歳へ向かい、バスでCLC札幌店に向かったのである。そこで、親切な女性の店員の方にお会いし、その人が集っている「愛隣チャペル」水曜聖書研究会・祈祷会に誘われたのだ。たしか、午後6時頃「大通り駅」にて待ち合わせをし、そこから地下鉄に乗って「白石駅」で降りた覚えがある。そして徒歩で10分くらいであったか、目指す「愛隣チャペル」に案内された。その時には、今は名前を忘れてしまったが、ある一人の神学生がメッセージを担当した。その時の聖書箇所が、今回のマルコの福音書3章20節である。その教会も、「新改訳聖書」を使用していた。よって、今回の聖書箇所は、その時の聖書箇所と全くそのままである。その内容は、もし主イエスがご臨在されるのならば、そこには大勢の人が集まって来るということである。

     「トラクト」を配ったり、「特別伝道集会」を催したり、また様々なアイディアで、とにかく教会に人を集めるのではなく、主イエスがご自身の家に戻られるのなら、つまり教会に戻られるのなら、人々は、そのことを聞きつけて、嗅ぎつけて押し寄せるはずだ、ということである。そうなると、弟子たちはみな、自分が食事をする暇もないほどに、忙しいことになる。それがリバイバルだ、と言うメッセージであった。

     その後、夜遅くまで、権平先生と神学生と、その店員の女性とで、交わりを持たせていただいた。楽しい時間はアッと言う間に過ぎるもので、気がつくと午後10時をとっくに過ぎてしまった。たしかホテルの門限の午後11時直前までに、車で送っていただいた記憶がある。意外にホテルが遠くて、車で30分以上かかったが、その車中においても素晴らしい交わりを体験させていただいた。本当に主イエス様の導きに心から感謝したしだいである。その時に、権平先生から教えていただいたことが、その後の私の人生に大きな影響を与えたのである。

     次の日には、午前9時から午後3時まで、札幌の大きなホールにおいて、研修会があり、その日のうちに、旭川へ移動し、最終日は旭川アリーナにおいて、感動的な素晴らしい研修を終え、その日の午後に旭川空港から羽田へと飛んで、千葉に戻ったのである。

     「イエスが家に戻られると」主イエスは、カペナウムのシモンとアンデレの家に戻られた。おそらく、ペテロの姑や妻が、主イエスを持てなそうと張り切っていたに違いない。そこへ「待ってました」と言わんばかりに、大勢の人々が、ペテロとアンデレの家にかけつけたのだ。主イエスも、弟子たちも少しは休みを取りたかったはずである。しかし聖書には、「みなは食事をする暇もなかった」とある。主イエスも、弟子たちも相当空腹であったに違いない。それにも関わらず、主イエスも弟子たちも、その人々に対処されたということである。「主は疲れておられる。今日の所は、各自、自分の家に帰るように」と勧めればよいものを、食事も取らずに、癒しと悪霊からの解放を行なわれたと、私は思う。

     日本に大リバイバルが訪れたのなら、教会はその大勢の人々を収容することはできない。牧師は全然足りない。まさしく「収穫は多いが、働き人は少ない」状況が生まれる。何時の日にか、どこの教会においても、このような場面が実現することを見たいものである。

     『イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。』
    「主イエス様。戦後、日本に訪れてくださり、大リバイバルが来た時と同じように、もう一度、この日本にお戻りください。」と願う者である。》

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