◎本日の聖書箇所【使徒の働き21章7節~14節】(新約聖書p.278下段左側)
21:7 私たちはツロからの航海を終えて、プトレマイスに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。
21:8 翌日そこを出発して、カイサリアに着くと、あの七人の一人である伝道者ピリポの家に行き、そこに滞在した。
21:9 この人には、預言をする未婚の娘が四人いた。
21:10 かなりの期間そこに滞在していると、アガボという名の預言者がユダヤから下って来た。
21:11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って言った。「聖霊がこう言われます。『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる。』」
21:12 これを聞いて、私たちも土地の人たちもパウロに、エルサレムには上って行かないようにと懇願した。
21:13 すると、パウロは答えた。「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」
21:14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐんだ。
◎メッセージ【第二回目の警告】
《パウロ一行は、ツロを後にし、「プトレマイス(トレマイ)」を経て、エルサレムに一番近い港がある「カイサリア」に到着します。何と、そこには「ピリポ」が住んでいました。このピリポは、エルサレム教会において、ディアスポラのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていた事から、選ばれた七人の執事の一人でした。ステパノの殉教後に起こったサウロの迫害によって、エルサレムを離れ、カイサリアに伝道の居を構えていたのです。ピリポには、預言をする未婚の娘が四人おりました。聖霊は、かつての迫害者サウロと、七人の一人であったピリポとの和解をさせる為に、カイサリアに導いたとも考えられます。
この時、ピリポの四人の娘もパウロの事を預言したのではないでしょうか。ピリポの家にしばらく滞在していますと、エルサレムの預言者アガボが下って来ました。このアガボとパウロが会うのは、10年ぶりとなります。アガボは、アンティオキア教会において、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言したのです。それが紀元47年、クラウディウス帝の時に起こったのです。
アガボは、パウロとルカの所に来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「聖霊がこう言われます。『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる。』」と預言しました。それを聞いた人たちは、皆、声を合わせてパウロに、エルサレムに上って行かないようにと懇願したのです。しかしパウロは、それを受け入れようとはしませんでした。
パウロが、御霊の導きを受けたのは、エペソにおいて大きなリバイバルが起こった時です。御霊は、マケドニア州とアカイア州を通ってエルサレムに行き、ローマにも行く事を示されました。
「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名の為なら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」
このパウロの言葉は、主イエス様がシモン・ペテロに「あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度私を知らないと言います」と告げた時、ペテロが答えた、「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません」と、酷似してはいないでしょうか。
パウロがエルサレムに行くことは確かに神様の御心でした。しかし、時期が異なっていたのです。この時には、ピリポの四人の娘たちや、アガボの預言に聞き従い、アンティオキアに留まるべきではなかったのではないでしょうか。
すべての事に時があるのです。神様の時があるのです。ルカは、「彼が聞き入れようとしないので、私たちは「主のみ心がなりますように」と言って、口をつぐんだ」と締めくくっています。
私たちも、静まって神様の導きを求めなければならない場面に置かれることがあります。その時には、まず留まるべきです。留まると言うことは、敗退ではありません。また前進する為に、さらなる力を蓄える時であると私は信じます。》