◇◆◇日々のみ言葉
2023年4月8日(土)
◎聖書箇所【マルコの福音書2章16節~17節】
2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと一緒に食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか。」
2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと一緒に食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちに言った。「どうして、あの人は取税人や罪人たちと、一緒に食事をするのですか。」当時、彼らは、清い人は汚れた人とは交わらないという、考え方をしていたのである。
2:17 イエスはこれを聞いて言われた。「健康な人には医者はいらないが、病人には医者がいります。私は、自分で正しい人と考えている人を招こうと思って来たのではなく、罪人であることを自覚している人を招くために来たのです。」』
昨日のみ言葉と共に考えて見たいと思います。カペナウムの取税人の頭であったレビ(マタイ)の家において、主イエス一行が食卓を囲んでいる時のことです。
レビの家の前には、様子をうかがっていたパリサイ派の律法学者たちが、弟子たちに質問したのです。
「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか。」
彼らは、自分たちが一番清い者であると自負しています。よって、彼らは、決して「罪人」と呼ばれる者たちとは、食卓を供にすることはありません。現代訳では、その理由を明確に付け加えています。『当時、彼らは、清い人は汚れた人とは交わらないという考え方をしていたのである。』と。
その質問が、主イエス様にも届いたのです。主は言われます。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」と。(新改訳)
「健康な人には医者はいらないが、病人には医者がいります。私は、自分で正しい人と考えている人を招こうと思って来たのではなく、罪人であることを自覚している人を招くために来たのです。」(現代訳)
ここでは、現代訳の方が、主の言われる真意を表わしていると思います。つまり、新改訳の「罪人を招くために来た」と言う表現は、誤解を生じる可能性があるのです。
大切なことは、自分が罪人であることを自覚することなのです。罪が分からなければ、十字架の意味が分かりません。
罪人であることを悟らなければ、救い主の必要性が分からないのです。それゆえに、バプテスマのヨハネは、「悔い改め」を説いたのです。》