• 2023年4月9日イースター礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【マルコの福音書16章1節~8節】(新約聖書p.104下段右側)
    16:1 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
    16:2 そして、週の初めの日の早朝、日が昇ったころ、墓に行った。
    16:3 彼女たちは、「だれが墓の入り口から石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
    16:4 ところが、目を上げると、その石が転がしてあるのが見えた。石は非常に大きかった。
    16:5 墓の中に入ると、真っ白な衣をまとった青年が、右側に座っているのが見えたので、彼女たちは非常に驚いた。
    16:6 青年は言った。「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。
    16:7 さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』と。」
    16:8 彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

    ◎メッセージ【週の初めの日の早朝】
    《今日はイースターです。主イエス様の復活です。これこそ、私たち、主を信じ従う者にとっては、最大の希望です。なぜなら、主イエス様が「死」を打ち破られたからです。今回は復活の時に、主が、ご自身を現わした女性たちの視点から考えて見ましょう。
     さて、アリマタヤのヨセフとニコデモは、十字架から主イエスの御体を降ろして、まだ誰も葬られていない「園の墓」に埋葬します。主の十字架の側近くには、大勢の女性たちが成り行きを見ていましたが、そのリーダー格の数人の女性の名を、マタイは書き記しています。
    それが、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子たちの母であるサロメなのです。サロメは、実の姉である主の母マリアを家に連れて帰りますが、マグダラのマリアともう一人のマリアは、墓までついて行くのです。その時、シモン・ペテロとヨハネも同行したことは間違いありません。彼らは、墓の入り口が丸い石の蓋によって閉じられるまで、しっかりとその場所を確認したのです。
     さて、安息日が終わります。次の日の午後6時に、一斉に店が開きます。そこで彼女らは、香料を買い、夜が明けると墓に向かったのです。
    「だれが墓の入り口から石を転がしてくれるでしょうか」と、彼女たちは行く道すがら話し合っていました。彼女たちは、ローマ兵によって、ローマ式封印が成されたことを知りません。なぜなら、それは安息日(土曜日)に行なわれたからです。
     ところが目を上げると、その石が転がしてあるのが見えたのです。伝承では、この丸い石の蓋は、200キロくらいあったと言われ、大の男が7人以上で動かしたと伝えられています。
     また、まだ誰も葬られたことのない新しい墓を神様が用意されたのは、主イエスの復活の場面にふさわしいだけではなく、香料を塗りに来た女たちの為に、またこの後、駆けつけて墓の中にはいるシモン・ペテロとヨハネの為でもあったのです。もし、すでに埋葬された先客がいたとしたら、その悪臭で、人は中に入ることを躊躇したに違いないからです。彼女たちが墓の中に入ると、真っ白な衣をまとった青年が座っていました。
    「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』
     ここで、女たちは二手に分かれます。御使いの指図からそれは明白です。「さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。」
     マグダラのマリアは、ペテロに伝えにゼベダイの家に戻ります。そして、ペテロとヨハネとともに再び墓にやって来ます。ペテロとヨハネが、墓の中を確認して戻って行った後、マグダラのマリアはひとり墓に残ります。その時、主イエス様は、彼女に姿を現わすのです。
     その後に、ベタニアのマルタとマリア姉妹の家に隠れている他の使徒たちの所に、知らせに行った女たちに主イエスは現われます。なぜなら、彼女たちが恐れていたからです。
    「おはよう。恐れることはありません。行って、私の兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会えます。」
     主イエスは、よみがえられました。使徒パウロは、はっきりとそのことを証してします。そして、それこそが福音であると言っているのです。》

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