◇◆◇日々のみ言葉
2023年5月27日(土)
◎聖書箇所【マルコの福音書4章34節】
4:34 たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『4:34 たとえでなければ、何も話されなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。』
主イエス様は、教えの多くを「たとえ」を用いて話されました。これは、自分たちだけが最も正しい者であると主張するパリサイ人や律法学者たちには、悟ることのないようにされたからです。
しかし、弟子たちには、後にその解き明かしをされました。4つの福音書には、多くのたとえが書き記されています。また、主によるその解き明かしも書かれていますが、中には詳しい解き明かしが無い場合もあります。
たとえば、マタイの福音書の22章に描かれた、「王子の結婚披露宴」のたとえなどがそうです。その一部を掲載します。
『「ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。
『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、
『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」(マタイ22:11~22:14)』
宴会に招かれた時に、礼服を持っていない人には、王は礼服をも与えたはずなのです。それにも関わらず、このひとりの男は礼服を着ないで、婚礼にやって来たのです。この「礼服」とは、いったい何なのでしょうか。主イエス様は教えておられないのでしょうか。
いいえ。私は、弟子たちには解き明かしをされたと信じています。しかし、聖霊はマタイにその記事を書き記すことを許されなかったと思うのです。
私たちも、主イエス様の弟子なのです。そうだとしたら、主は私たちにも解き明かしをして下さるはずです。それだからこそ、もう一人の助け主が与えられているのです。
私たちは、聖霊様に尋ねること、そして聞くことが出来るのです。》