◎本日の聖書箇所【使徒の働き26章24節~32節】(新約聖書p.291上段右側)
26:24 パウロがこのように弁明していると、フェストゥスが大声で言った。「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」
26:25 パウロは言った。「フェストゥス閣下、私は頭がおかしくはありません。私は、真実で理にかなったことばを話しています。
26:26 王様はこれらのことをよくご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです。このことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも、王様がお気づきにならなかったことはない、と確信しています。
26:27 アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
26:28 するとアグリッパはパウロに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言った。
26:29 しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」
26:30 王と総督とベルニケ、および同席の人々は立ち上がった。
26:31 彼らは退場してから話し合った。「あの人は、死や投獄に値することは何もしていない。」
26:32 また、アグリッパはフェストゥスに、「あの人は、もしカエサルに上訴していなかったら、釈放してもらえたであろうに」と言った。
◎メッセージ【み言葉の力とは?】
《再び「使徒の働き」に戻ります。まず、フェストゥスが、パウロの言葉に反応します。
「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」
この言葉は、一見パウロを批判しているようですが実は違います。パウロの言葉は、フェストゥスの魂の奥底までも、揺り動かしました。そのような時には、得てして人は思っていることよりも、反対の態度を表わしたり言ったりします。
主イエスは以前、使徒たちにこのような約束をなされました。
「あなたがたは、私のために総督たちや王たちの前に連れて行かれ、彼らに証しをすることになります。話すことは、そのとき与えら、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの父の御霊です。」』と。この言葉は、この時パウロによって成就したのです。
フェストゥスの言葉を受けて、パウロは続けます。
「フェストゥス閣下、私は頭がおかしくはありません。私は、真実で理にかなった言葉を話しています。王様はこれらのことをよくご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです。アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
すると、アグリッパⅡ世は、
「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言います。
ヘブル人への手紙の著者は、このように証しします。
『神の言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。』と。
彼らはパウロを通して語られる「神の言葉」の力の前に、心を刺し通され、尻込みして逃げ出しました。神様は、パウロの「ダマスコでの救いの証し」を用いて、彼らに強く悔い改めを迫ったのです。しかし、彼らは決心することは出来ませんでした。
パウロは、第Ⅰコリント書簡において、
『兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。』と、述べています。
私たちは、主イエスの恵みと哀れみによって召し出されました。そして、パウロに与えられたように私たちにも使命が与えられています。それは、聖霊様と共に全身全霊を持って、同胞である日本人への、神様の証人になることです。》