◇◆◇2023年6月11日 第二主日礼拝メッセージ
◎本日の聖書箇所【使徒の働き27章1節~12節】(新約聖書p.291下段右側)
27:1 さて、私たちが船でイタリアへ行くことが決まったとき、パウロとほかの数人の囚人は、親衛隊のユリウスという百人隊長に引き渡された。
27:2 私たちは、アジアの沿岸の各地に寄港して行く、アドラミティオの船に乗り込んで出発した。テサロニケのマケドニア人アリスタルコも同行した。
27:3 翌日、私たちはシドンに入港した。ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちの所へ行って、もてなしを受けることを許した。
27:4 私たちはそこから船出し、向かい風だったので、キプロスの島陰を航行した。
27:5 そしてキリキアとパンフィリアの沖を航行して、リキアのミラに入港した。
27:6 ここで、百人隊長はイタリアへ行くアレクサンドリアの船を見つけて、それに私たちを乗り込ませた。
27:7 何日もの間、船の進みは遅く、やっとのことでクニドの沖まで来たが、風のせいでそれ以上は進めず、サルモネ沖のクレタの島陰を航行した。
27:8 そしてその岸に沿って進みながら、やっとのことで、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる場所に着いた。
27:9 かなりの時が経過し、断食の日もすでに過ぎていたため、もはや航海は危険であった。そこでパウロは人々に警告して、
27:10 「皆さん。私の見るところでは、この航海は積荷や船体だけでなく、私たちの命にも危害と大きな損失をもたらすでしょう」と言った。
27:11 しかし百人隊長は、パウロの言うことよりも、船長や船主のほうを信用した。
27:12 また、この港は冬を過ごすのに適していなかったので、多数の者たちの意見により、ここから船出し、できれば、南西と北西に面しているクレタの港フェニクスに行き、そこで冬を過ごそうということになった。
◎メッセージ【ローマを目指して】
《カイサリアにおける二年間の幽閉から解放されて、パウロのローマへの旅が始まります。「私たち」とは、福音記者ルカ、マルコとテサロニケ教会の指導者アリスタルコです。
そして、パウロの護送に任命されたのが、ユリウスです。 ユリウスとは、カイサリアに常駐するイタリア隊の百人隊長の一人です。同僚に、シモン・ペテロによって救いに導かれたコルネリウスがいます。
ユリウスは「ナザレ派」について、パウロについて、コルネリウスからかなり聞き及んでいたと思われます。そして、船はバルナバとマルコの故郷であるキプロスの島陰を航行し、そしてキリキア州(首都はパウロの故郷タルソ)とパンフィリアの沖を通って行きます。
以前、協力者の一人マルコは、ここで一行から離れて帰郷した、苦い場所でもあるのです。 船はリキア州の港ミラに入港しました。さてここで、一行はイタリアへ行くアレクサンドリアの船に乗り換えます。アレクサンドリアの商業船は当時最大の大きさで、通常は、イタリヤ半島ナポリ湾北岸の町ポテオリに直航しますが、時折悪天候の時には小アジヤの沿岸近くを航行したのです。
ところで、アレくサンドリアのキリスト教会はマルコが設立したと伝えられています。マルコは、パウロと行動を共にしていました。よってアレクサンドリアの船に乗ったことが、マルコが伝道師として、パウロの死後にアレクサンドリアに向かった切っ掛けになったのではないでしょうか。
さて、アレクサンドリアの船はミラを出航し、やっとのことで、クレテ島の南岸ラサヤの町に近い「良い港」に着くことになります。良い港とは、ユリアスカロイ・リメネスと言い、夏季の投錨地としては最適な場所でした。船は、この港において、かなりの期間停泊します。
毎年9月から10月にかけて守られる断食の日もすでに過ぎており、航海の危険な時期が近づいていたのです。パウロは、自身の経験から警告します。
「皆さん。私の見るところでは、この航海は積荷や船体だけでなく、私たちの命にも危害と大きな損失をもたらすでしょう。」
しかし百人隊長は、パウロの言うことよりも、船長や船主のほうを信用したのです。なぜなら、この良い港よりも、クレタの港フェニクスの方が、数段に良かったからです。
もし、百人隊長と船主と船長が、パウロの言葉に耳を傾けていたとしたら、事態は全く異なっていたはずです。ここから、私たちが学ぶべきことが二つあります。一つは、待つことです。留まることです。そして、もう一つは、神様の言葉に聞き従うことです。。
もし彼らが「良い港」に留まっていたとしたら、本当に彼らに取っては「良い港」になったはずです。先の港であるフェニクスまでは、距離にして約70㎞ほどでした。しかし、彼らにとっては、遙かに遠かったのです。》